スッタニパータ解説 スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇908の解説 908 「われは知る。われは見る。これはそのとおりである」という見解によって清浄になることができる、と或る人々は理解している。たといかれが見たとしても、それがそなたにとって、何の用があるのだろう。かれらは、正しい道を踏みはずして、他人によっ... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇907の解説 907 (真の)バラモンは、他人に導かれるということがない。また諸々のことがらについて断定をして固執することもない。それ故に、諸々の論争を超越している。他の教えを最も勝れたものだと見なすこともないからである。真の修行者は、人間的思考の運動す... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇906の解説 906 かれらは自分の道を称讃するように、自己の教えを尊重している。しからば一切の議論がそのとおり真実であるということになるであろう。かれらはそれぞれ清浄となれるからである。かれらは自分の道を称讃するように、自己の教えを尊重している。修行の... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇905の解説 905 もしも他人に非難されているが故に下劣なのであるというならば、諸々の教えのうちで勝れたものは一つもないことになろう。けだし世人はみな自己の説を堅(かた)く主張して、他人の教えを劣ったものだと説いているからである。自己の説を堅(かた)く... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇904の解説 904 かれらは自分の教えを「完全である」と称し、他人の教えを「下劣である」という。かれらはこのように互いに異なった執見をいだいて論争し、めいめい自分の仮説を「真理である」と説く。かれらは自分の教えを「完全である」と称し、他人の教えを「下劣... スッタニパータ解説