スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ 学生メッタグーの質問1055の解説

1054 「偉大な仙人さま。わたくしはその最上の理法を受けて歓喜します。その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り超えるでしょう。」

 

1055 師が答えた、「メッタグーよ。上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それらに対する喜びと偏執と識別とを除き去って、変化する生存状態のうちにとどまるな。

 

 

師が答えた、「メッタグーよ。上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それらに対する人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、喜びと偏執と識別とを除き去って、観察によって真理を知り、変化する生存状態のうちにとどまるな。

スッタニパータ 学生メッタグーの質問1053の解説

1052 「われらがあなたにおたずねしましたことを、あなたはわれらに説き明かしてくださいました。あなたに他のことをおたずねしますが、そうかそれを説いてください。どのようにしたならば、諸々の賢者は煩悩の激流、生と老衰、憂いと悲しみとを乗り超えるのですか?聖者さま。どうかそれをわたくしに説き明かしてください。あなたはこの法則をあるがままに知っておられるからです。」

 

1053 師が答えた、「メッタグーよ。伝承によるのではなくて、いま眼(ま)のあたり体得されるこの理法を、わたしはそなたに説(と)き明(あか)かすであろう。その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り超えよ。

 

 

師が答えた、「メッタグーよ。伝承によるのではなくて、いま眼(ま)のあたり体得されるこの理法を、わたしはそなたに説(と)き明(あか)かすであろう。その理法を知って、そなたも、人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけて観察を行い、理法を知見し、世間の執著を乗り超えよ。

スッタニパータ 学生メッタグーの質問1051の解説

1051 実に知ることなくして執著をつくる人は愚鈍であり、くり返し苦しみに近づく。だから、知ることであり、苦しみの生起のもとを観じた人は、再生の素因(=執著)をつくってはならない。」

 

 

実に知ることなくして自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止められず、執著をつくる人は愚鈍であり、くり返し苦しみに近づく。だから、思考の運動を止める事を知ることであり、苦しみの生起のもとを観じた人は、再生の素因(=運動による執著)をつくってはならない。」

スッタニパータ 学生メッタグーの質問1050の解説

1049 メッタグーさんがたずねた、「先生!あなたにおたずねします。このことをわたしに説いてください。あなたはヴェーダ(修行)の達人、心を修養された方だとわたくしは考えます。世の中にある種々様々な、これらの苦しみは、そもそもどこから現われ出たのですか。」

 

1050 師(ブッダ)は答えた、「メッタグーよ。そなたは、わたしに苦しみの生起するもとを問うた。わたしは知り得たとおりに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、執著(しゅうじゃく)を縁として生起する。

 

師(ブッダ)は答えた、「メッタグーよ。そなたは、わたしに苦しみの生起するもとを問うた。わたしは知り得たとおりに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、人々の反応の仕方である人間的思考の運動(快⇔不快)から来るところの両極端を掴もうとする執著(しゅうじゃく)を縁として生起する。

スッタニパータ 学生プンナカの質問1048の解説

1047 プンナカさんがいった、「もしも供犠に専念している彼らが祭祀によっても生と老衰とを乗り超えていないのでしたら、わが親愛なる友よ、では神々と人間の世界のうちで生と老衰とを乗り超えた人は誰なのですか?先生!あなたにお尋ねします。それをわたしに説いてください。」

 

1048 師が答えた、「プンナカよ。世の中でかれこれ(の状態)を究(きわ)め明(あか)らめ、世の中で何ものにも動揺することなく、安らぎに帰(き)し、煙なく、苦悩なく、望むことのない人、ーかれは生と老衰とを乗り超えた、ーとわたしは説く。」

 

師が答えた、「プンナカよ。世の中で自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、中道の眼によって、かれこれの状態を究(きわ)め明(あか)らめることによって真理を悟り、世の中で何ものにも動揺することなく、安らぎに帰(き)し、煙なく、苦悩なく、望むことのない人、ーかれは生と老衰とを乗り超えた、ーとわたしは説く。」

 

スッタニパータ 学生プンナカの質問1046の解説

1045 プンナカさんがいった、「先生!およそこの世で仙人や常の人々や王族やバラモンが盛んに神々に犠牲を捧げましたが、祭祀(さいし)の途において怠らなかったかれらは、生と老衰をのり超えたのでしょうか?わが親愛なる友よ。あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

 

 

1046 師は答えた、「プンナカよ。かれらは希望し、称讃し、熱望して、献供する。利得を得ることに縁(よ)って欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠(くぎ)に専念している者どもは、この世の生存を貪(むさぼ)って止(や)まない。かれらは生や老衰をのり超えていない、とわたしは説く。」

 

 

師は答えた、「プンナカよ。かれらは両極端を希望し、称讃し、熱望して、献供する。利得を得ることに縁(よ)って両極端の欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠(くぎ)に専念している者どもは、この世の生存を貪(むさぼ)って止(や)まない。かれらは自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止めようとせず、それらを求めて掴んで離そうとしないが故に、またこの世に生まれてくるのであるから、生や老衰をのり超えていない、とわたしは説く。」

スッタニパータ 学生プンナカの質問1044の解説

1043 プンナカさんがたずねた、「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、参りました。仙人や常の人々や王族やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧(ささ)げたのですか?先生!あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

 

 

1044 師(ブッダ)は答えた、「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」

 

 

師(ブッダ)は答えた、「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、現在の状況を掴んで手放そうとせず、あるいは若さを保とうと、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」

スッタニパータ 学生ティッサ・メッテイヤ1041,1042の解説

1040 ティッサ・メッテイヤさんがたずねた、「この世で満足している人は誰ですか?動揺することがないのは誰ですか?両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない、聡明な人は誰ですか?あなたは誰を〈偉大な人〉と呼ばれますか?この世で縫(ぬ)う女(妄執)を超(こ)えた人は誰ですか?」

 

 

1041 師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。諸々の欲望に関しては清らかな行いをまもり、妄執を離れて、つねに気をつけ、究め明らめて、安らいに帰した修行者、ーかれには動揺は存在しない。

 

 

1042 かれは両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない。かれを、わたしは〈偉大な人〉と呼ぶ。かれはこの世で縫う女(妄執)を超えている。」

 

 

師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。諸々の欲望に関しては、人間的思考の運動(快⇔不快)を止めて、中道をまもり、妄執を離れて、つねに運動に気をつけ、観察によって真理を究め明らめて、安らいに帰した修行者、ーかれには動揺は存在しない。かれは自らの人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす両極端に対する反応の仕方を知りつくして、よく考えて、両極端にも中間にも汚されない。かれを、わたしは〈偉大な人〉と呼ぶ。かれはこの世で縫う女(妄執)を超えている。」このようにあらゆる対象を手放して遍歴する者である。

スッタニパータ 学生アジタの質問1039の解説

1038 「この世には真理を究(きわ)め明(あき)らめた人々もあり、学びつつある人々もあり、凡夫(ぼんぷ)もおります。おたずねしますが、賢者は、どうかかれらのふるまいを語ってください。わが友よ。」

 

 

1039 「修行者は諸々の欲望に耽(ふけ)ってはならない。こころが混濁(こんだく)していてはならない。一切の事物の真相に熟達し、よく気をつけて遍歴せよ。」

 

 

修行者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、諸々の欲望に耽(ふけ)ってはならない。こころが混濁(こんだく)していてはならない。人間的思考の運動(快⇔不快)を制して中道を歩み、一切の事物の真相に熟達し、よく気をつけて遍歴せよ。

 

スッタニパータ 学生アジタの質問1037の解説

1036 アジタさんがいった、「わが友よ。智慧と気をつけることと名称と形態とは、いかなる場合に消滅するのですか?おたずねしますが、そのことをわたしに説いてください。」

 

 

1037 「アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、識別作用が止滅(しめつ)することによって、両極端による名称と形態とが残りなく滅(ほろ)びた場合に、この両極端による名称と形態とが滅びる。」