1043 プンナカさんがたずねた、「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、参りました。仙人や常の人々や王族やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧(ささ)げたのですか?先生!あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」
1044 師(ブッダ)は答えた、「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」
師(ブッダ)は答えた、「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態の維持を希望して、老衰を回避することにこだわって、犠牲を捧げてでも維持したいとの想いによるものである。」この世は、無常である、全てのものが変化する。しかし、人々は、ひとたび人間的思考の運動(快⇔不快)による快を得たならば、それを維持したいと考える。そうしては常住を願ってやまない。その想いによって盛んに供儀を捧げる。すなわち人間的思考の想いによってである。それを知って聖者は、その想いを離れたところに安穏があることを知って、自らの両極端による運動による想いを制して遂には彼の岸へと到達したのである。