人が他人を誹るときそこには、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)が動いている。嫌いあるいは不快を感じた時に、それらを排除しようとするのである。そうしては他人に同意を求める。それらが自分が見たことであっても、他人から聞いた事であっても、人間的思考の運動が動いている事には変わりがない。人間的思考の運動が動くときそこには、心の荒みがある。あるいはそれによって、生と死が動き出し、楽と苦が動き出す。すなわちそれらは荒波である。聖者は、それを観て荒波に近づくことなく、遂には安穏に帰したのである。
スッタニパータ 悪意についての八つの詩句780のご法話
ご法話