826 集会の中で論争に参加した者は、称賛されようと欲して、おずおずしている。そうして敗北してはうちしおれ、(論敵の)あらさがしをしているのに、(他人から)論難されると、怒る。
集会の中で論争に参加した者は、人間的思考の運動をしている。すなわち称賛⇔非難である。そして、称賛と言う快を貪り求めて、論争に及ぶのである。この煩悩の荒波が心の中で渦巻き、称賛されようと欲して、おずおずしている。そうして敗北してはうちしおれ、論敵のあらさがしをしているのに、他人から論難されると、怒る。この人間的思考の運動は次なる喜び⇔怒りの運動に繋がる。この人間的思考の運動にやまない人間は、荒波を次々につくっては、自らが溺れるのである。このありさまをみて修行者は、論争に及んではならない。無論争の境地こそが人間的思考の運動を静止した境涯である事を知って、常に人間的思考の運動に気をつけ世の中を遍歴せよ。
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