自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制することができず、特殊な偏見を固執して論争し、「これのみが真理である」と言う人々がいるならば、汝はかれらに言え、ー「論争が起っても、汝と対論する者は人間的思考の運動(勝⇔負)を制する修行場であるここにいない」と。
偏見に固執すること、それは人間的思考の運動(正⇔誤)である。その固執する事は、人間的思考の運動であるので、真理への道(中道)を阻むことになる。故に智慧ある修行者はその事を知って自らの人間的思考の運動(正⇔誤)を制し、遂には中道を歩み安穏を観たのである。
コメントを残す