766 欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくいくならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。
欲望をかなえたい=人間的思考の運動(快⇔不快)の快を掴もうと望んでいる人が、もしもうまくいく=快を掴んだならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。故に人間は、それらを求めて、あらゆるところを走り回り、それらを求めてこの無常の世に生まれてくるのである。
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766 欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくいくならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。
欲望をかなえたい=人間的思考の運動(快⇔不快)の快を掴もうと望んでいる人が、もしもうまくいく=快を掴んだならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。故に人間は、それらを求めて、あらゆるところを走り回り、それらを求めてこの無常の世に生まれてくるのである。
1146 「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域(りょういき)の彼岸(ひがん)に至るであろう。ピンギヤよ。」
修行当初は教えを乞うために神々や仏の力を借りるために信仰をする事もあるのだが、「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた、自らが人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、真理を観たのであれば、信仰を捨て去れ。そなたは死の領域(りょういき)の彼岸(ひがん)に至るであろう。ピンギヤよ。」
1122 「四方と思惟(しい)と上と下と、これらの十方の世界において、あなたに見られず聞かれず考えられずまた識(し)られないなにものもありません。どうか理法を説いてください。それをわたくしは知りたいのです、ーこの世において生と老衰とを捨て去ることを。」
1123 師(ブッダ)は答えた、「ピンギヤよ。ひとびとは妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、ピンギヤよ、そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」
師(ブッダ)は答えた、「ピンギヤよ。ひとびとは自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げては、妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、ピンギヤよ、そなたは怠ることなく自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止めることにはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」
1120 ピンギヤさんがたずねた、「わたくしは年をとったし、力もなく、容貌も衰えています。眼もはっきりしませんし、耳もよく聞こえません。わたくしが迷ったままで途中で死ぬことのないようにしてください。ーどうしたらこの世において生と老衰とを捨て去ることができるか、そのことわりを説いてください。それをわたくしは知りたいのです。」
1121 師(ブッダ)は答えた、「ピンギヤよ。物質的な形態があるが故に、人々が害(そこな)われるのを見るし、物質的な形態があるが故に、怠る人々は(病いなどに)悩まされる。ピンギヤよ。それ故に、そなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。」
師(ブッダ)は答えた、「ピンギヤよ。この無常の世は、物質的な形態があるが故に、人々が害(そこな)われるのを見るし、物質的な形態があるが故に、怠る人々は病いなどに悩まされる。ピンギヤよ。それ故に、そなたは怠ることなく、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、中道を歩み、真理を観て、物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。」
1116 モーガラージャさんがたずねた、「わたくしはかつてシャカ族の方に二度おたずねしましたが、眼(まなこ)ある方(釈尊)はわたくしに説明してくださいませんでした。しかし『神仙(釈尊)は第三回目には説明してくださる』とわたくしは聞いております。
1117 この世の人々も、かの世の人々も、神々と、梵天(ぼんてん)の世界の者どもも、誉(ほま)れあるあなたゴーダマ(ブッダ)の見解を知ってはいません。
1118 このように絶妙な見者(みて)におたずねしようとしてここに来ました。どのように世間を観察する人を、死王は見ることがないのですか?」
1119 (ブッダが答えた)、「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空(くう)なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、〈死の王〉は見ることがない。」
(ブッダが答えた)、「自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に、つねによく気をつけ、自我=「両極端を掴もうとする想い」に固執する見解をうち破って、世界を空(くう)=「無常」なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、世界を観ずる人を、〈死の王〉は見ることがない。」
1115 無所有の成立するもとを知って、すなわち『歓喜は束縛である』ということを知って、それをこのとおりであると知って、そこから(出て)それについてしずかに観ずる。安立したそのバラモンには、この〈ありのままに知る智〉が存する。」
自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、両極端に対して、無所有の成立するもとを知って、すなわち人間的思考の運動(快⇔不快)の快を掴む『歓喜は束縛である』ということを知って、それをこのとおりであると知って、その運動から出て、現象についてしずかに観ずる。安立=中道を極めたその修行者には、この、ありのままに知る智慧が存する。」
1112 ポーサーラさんがたずねた、「過去のことがらを説示し、悩み動揺することなく、疑惑を断ち、一切の事物を究めつくした(師)におたずねするために、ここに来ました。
1113 物質的なかたちの想いを離れ、身体をすっかり捨て去り、内にも外にも『なにものも存在しない』と観ずる人の智を、わたくしはおたずねするのです。シャカ族の方よ。そのような人はさらにどのように導かれねばなりませんか?」
1114 師(ブッダ)は答えた、「ポーサーラよ。すべての〈識別作用の住するありさま〉を知りつくした全き人(如来(にょらい))は、かれの存在するありさまを知っている。すなわち、かれは解脱(げだつ)していて、そこをよりどころとしていると知る。
師(ブッダ)は答えた、「ポーサーラよ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、それらの反応の仕方をよく知りつくし、すべての識別作用の住するありさまを知りつくした全き人(如来(にょらい))は、四智思考の眼で、かれの存在するありさまを知っている。すなわち、かれは解脱(げだつ)していて、そこをよりどころとしていると知る。
1110 「どのようによく気をつけて行なっている人の識別作用が、止滅(しめつ)するのですか?それを先生におたずねするためにわたくしはやってきたのです。あなたのそのおことばをお聞きしたいのです。」
1111 「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、このようによく気をつけて行なっている人、の識別作用が止滅するのである。」
「内面的にも外面的にも自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、感覚的感受を喜ばない人、このようによく自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に気をつけて修行を行なっている人、の識別作用が止滅するのである。」
1108 「世人は何によって束縛(そくばく)されているのですか?世人をあれこれ行動させるものは何ですか?何を断ずることによって安らぎ(ニルヴァーナ)があると言われるのですか?」
1109 「世人は歓喜に束縛されている。思わくが世人をあれこれ行動させるものである。妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。」
「世人は人間的思考の運動(快⇔不快)である快を掴む歓喜に束縛されている。それらを掴もうとする思わくが世人をあれこれ行動させるものである。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。」
1107 平静な心がまえと念(おも)いの清らかさ、ーそれらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、ーこれが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」
自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止めた状態=中道である静な心がまえと念(おも)いの清らかさ、ーそれらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、ーこれが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」