スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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11月

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句777の解説

777 (何ものかを)わがものであると執着して動揺している人々を見よ。(かれらのありさまは)ひからびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである。これを見て、「わがもの」という思いを離れて行うべきである。ー諸々の生存に対して執着することなしに。

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす両極端に対して何ものかをわがものであると執着して動揺している人々を見よ。かれらのありさまはひからびた流れの水の少ないところにいる魚のように無常の世で失われる対象を追い求めるようなものである。これを見て、「わがもの」という思いを離れて修行を行うべきである。ー諸々の生存に対して執着することなしに。中道を歩んで真理を観よ。

 

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句776の解説

776 この世の人々が、諸々の生存に対する妄執にとらわれ、ふるえているのを、わたしは見る。下劣な人々は、種々の生存に対する妄執を離れないで、死に直面して泣く。

 

 

この世の人々が、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)をとめられず諸々の生存に対する妄執にとらわれ、ふるえているのを、わたしは見る。下劣な人々は、種々の生存に対する人間的思考の運動(快⇔不快)による両極端の妄執を離れないで、死に直面して泣く。全て手放さないといけないからである。

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句775の解説

775 だから人はここにおいて学ぶべきである。世間で「不正」であると知られているどんなことであろうとも、そのために不正を行ってはならない。「ひとの命は短いものだ」と賢者たちは説いているのだ。

 

 

だから人はここにおいて学ぶべきである。世間で「不正」であると知られているどんなことであろうとも、人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす両極端を掴もうとして不正を行ってはならない。「ひとの命は短いものだ」と賢者たちは説いているのだ。

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句774の解説

774 かれらは欲望を貪り、熱中し、溺(おぼ)れて、吝嗇(りんしょく)(物惜しみ、ケチ)で不正になずんでいるが、(死時には)苦しみにおそわれて悲観する、ー「ここで死んでから、われらはどうなるのだろうか」と。

 

 

かれらは人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げ、両極端への欲望を貪り、熱中し、運動の波に溺(おぼ)れて、それらを掴んでは吝嗇(りんしょく)(物惜しみ、ケチ)で不正になずんでいるが、死時には全てを手放す苦しみにおそわれて悲観する、ー「ここで死んでから、われらはどうなるのだろうか」と。その想いによってまた生まれてくるのである。

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句773の解説

773 欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている人々は、解脱しがたい。他人が解脱させてくれるのではないからである。かれらは未来をも過去をも顧慮(こりょ)しながら、これらの(目の前の)欲望または過去の欲望を貪(むさぼ)る。

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている人々は、解脱しがたい。他人が解脱させてくれるのではないからである。かれらは人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げては未来をも過去をも顧慮(こりょ)しながら、これらの目の前の欲望または過去の欲望を貪(むさぼ)る。そしてこの無常の世にまた生まれてくるのである。

 

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句772の解説

772 窟(いわや)(身体)のうちにとどまり、執着し。多くの(煩悩)に覆(おお)われ、迷妄(めいもう)のうちに沈没している人、ーこのような人は、実に(遠ざかり離れること)(厭離)(おんり)から遠く隔(へだ)たっている。実に世の中にありながら欲望を捨て去ることは、容易ではないからである。

 

窟(いわや)(身体)のうちにとどまり、人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げては、両極端に執着し。多くの(煩悩)に覆(おお)われ、迷妄(めいもう)のうちに沈没している人、ーこのような人は、実にこの無常の世から(遠ざかり離れること)(厭離)(おんり)から遠く隔(へだ)たっている。実に世の中にありながら欲望を捨て去る=中道を歩むことは、容易ではないからである。

 

スッタニパータ 欲望771の解説

771 それ故に、人は常によく気をつけていて、諸々の欲望を回避せよ。船のたまり水を汲み出すように、それらの欲望を捨て去って、激しい流れを渡り、彼岸に到達せよ。

 

 

それ故に、人は常に自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけていて、自らの運動を見極め、諸々の欲望を回避せよ。船のたまり水を汲み出すように、それらの欲望を捨て去って、激しい流れを渡り、中道の眼をもって「彼岸=真理」に到達せよ。

スッタニパータ欲望769、770の解説

769 ひとが、田畑、宅地、黄金、牛馬、奴婢(ぬひ)、僱人(やといにん)、婦女、親族、その他いろいろの欲望を貪り求めると、

 

770 無力のように見えるもの(諸々の煩悩)がかれにうち勝ち危い災難がかれをふみにじる。それ故に苦しみがかれにつき従う。あたかも壊(やぶ)れた船に水が浸入するように。

 

ひとが、田畑、宅地、黄金、牛馬、奴婢(ぬひ)、僱人(やといにん)、婦女、親族、その他いろいろの人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす欲望を貪り求めると、無力のように見えるもの(諸々の煩悩=それらを掴みたいと言う想い)がかれにうち勝ち危い災難がかれをふみにじる。それ故に運動によって苦しみがかれにつき従う。あたかも壊(やぶ)れた船に水が浸入するように。

 

スッタニパータ 欲望768の解説

768 足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、よく気をつけて諸々の欲望を回避する人は、この世で執着をのり超える。

 

足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけて諸々の欲望を回避する人は、この世で執着がもたらす苦しみをのり超える。

スッタニパータ 欲望767の解説

767 欲望をかなえたいと望み貪欲(とんよく)の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げ、運動によって何かを掴もうと欲望をかなえたいと望み貪欲(とんよく)の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。故に修行者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、何ものをも掴むことなく手放すべきである。