正しい見解、正見
真理に対してありのままに見る。
人間的思考を止め、分けない心でありのままに見る。(好みにとらわれず全てを受け入れて見る鏡のような見方)それによって、苦の生起の元を知り、苦を滅する方法を知り、苦の滅尽に至る道を知る事を名づけて正見と言う。
人間は、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)によって、好きなものは見ようとするが、嫌いなものは見ようとしない。故に全体を見る事ができないのである。全体を見る事ができなければ、真理を見る事ができない。正見とは、自らの人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制し、分けずに、あるがままに見る事である。その時に初めて、正しく見る事ができる。それを正見と呼ぶ。
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