スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

suttanipata

info@suttanipata.com

04月

スッタニパータ サーリープッタ972のご法話

972 眼を下に向けて、うろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。心を平静にして、精神の安定をたもち、思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。

 

 

眼を下に向けて虫などを踏まないようによく気をつけ、心がうろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、心を平静にして、精神の安定をたもち、運動がもたらす思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。それらを制して、自らの心と目の前の現象を観察するのである。そのようにして修行者は真理を視るのである。

 

スッタニパータ サーリープッタ971のご法話

971 適当な時に食物と衣服とを得て、ここで(少量に)満足するために、(衣食の)量を知れ。かれは衣食に関しては恣(ほしい)ままならず、慎(つつ)しんで村を歩み、罵(ののし)られてもあらあらしいことばを発してははならない。人々をそしることを想ってはならぬ。

 

 

托鉢において、適当な時に食物と衣服とを得て、ここで少量に満足するために、衣食の量を知れ。かれは衣食に関しては恣(ほしい)ままならず、慎(つつ)しんで村を歩み、罵(ののし)られてもあらあらしいことばを発してははならない。得られなかったとしても、人々をそしることを想ってはならぬ。常に人間的思考の運動を制して、自らの心を観察し、反応の仕方を知れ、自らの心と言うものを知るべきである。

 

スッタニパータ サーリープッタ970のご法話

970 すなわち『わたしは何を食べようか』『わたしはどこで食べようか』『(昨夜は)わたしは眠りづらかった』『今夜はわたしはどこで寝ようか』ー家を捨て道を学ぶ人は、これら(四つの)憂いに導く思慮を抑制せよ。

 

 

 

すなわち『わたしは何を食べようか』『わたしはどこで食べようか』『(昨夜は)わたしは眠りづらかった』『今夜はわたしはどこで寝ようか』ー家を捨て道を学ぶ修行者は、これら(四つの)憂いに導く人間的思考の運動(快⇔不快)による思慮を抑制せよ。快を追究してはならぬ。それらの想いが立ち上がらぬようにせよ。

スッタニパータ サーリープッタ969のご法話

969 智慧をまず第一に重んじて、善を喜び、それらの危難にうち勝て。奥まった土地に臥す不快に堪(た)えよ。次の四つの憂うべきことに堪えよ。

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、現象を観察したところから得られるところの智慧をまず第一に重んじて、思考を制した状態を保ち、それらの危難にうち勝て。奥まった土地に臥す不快に堪(た)えよ。次の四つの憂うべきことに堪えよ。

スッタニパータ サーリープッタ968のご法話

968 怒りと高慢とに支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。また快いものも不快なものも、両者にしっかりと、うち克(か)つべきである。

 

 

怒りと高慢とに支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。怒りは、人間的思考の運動(快⇔不快)による快が得られない時に立ち上がり、高慢は、快が得られた時に立ち上がるのである。それらを制する上でも修行者は、快いものも不快なものも、両者にしっかりと、うち克(か)つべきである。そのようにして怠ることなく現象を観察せよ。

 

スッタニパータ サーリープッタ967のご法話

967 盗みを行ってはならぬ。虚言を語ってはならぬ。弱いものでも強いものでも(あらゆる生きものに)慈(いつく)しみを以て接せよ。心の乱れを感ずるときにには、「悪魔の仲間」であると想って、これを除き去れ。

 

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、執着の対象への想いを取り除き、それらを手放し、それらを欲する想いを捨て去る。想いを離れる事を目指す修行者は、盗みを行ってはならぬ。虚言を語ってはならぬ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)制し、無常を観じて、弱いものでも強いものでもあらゆる生きものに慈(いつく)しみを以て接せよ。人間的思考の運動(快⇔不快)が動いて心の乱れを感ずるときにには、「悪魔の仲間」であると想って、これを除き去れ。修行者は、このように日々過ごす事である。

スッタニパータ サーリープッタ966のご法話

966 病にかかり、餓(う)えに襲われても、また寒冷や酷暑(こくしょ)をも堪(た)え忍ぶべきである。かの〈家なき人〉は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固(けんご)に努力をなすべきである。

 

 

病にかかり、餓(う)えに襲われても、また寒冷や酷暑(こくしょ)をも自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制して堪(た)え忍ぶべきである。かの執着の対象を捨て去った家なき人は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固(けんご)に自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制する努力をなすべきである。そのように制して絶えず怠ることなく観察するのである。

スッタニパータ サーリープッタ965のご法話

965 異なった他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも恐れてはならない。ーたといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。ーまた善を追求して、他の諸々の危難にうち勝て。

 

 

異なった他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも恐れてはならない。ーたといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。ーまた善を追求である人間的思考の運動(快⇔不快)を制することを実践して、他の諸々の危難である感情の立ち上がりにうち勝て。

スッタニパータ サーリープッタ964のご法話

955 サーリープッタさんが言った、ー
「わたくしは未だ見たこともなく、また誰からも聞いたこともない。ーこのようにことば美(うる)わしき師(ブッダ)、衆の主がトゥシタ天から来たりたもうたことを。

 

956 眼ある人(ブッダ)は、神々及び世人が見るように、一切の暗黒を除去して、独(ひと)りで(法)楽をうけられた。

 

957 こだわりなく、偽(いつわり)りなく、このように範たる人として来たりたもうた師・目ざめた人(ブッダ)であるあなたのもとに、これらの束縛ある多くの者どものために問おうとして、ここに参りました。

 

958 修行者は世を厭(いと)うて、人のいない座所や樹下や墓地を愛し、山間の洞窟の中におり、

 

959 または種々の座所のうちにいるのであるが、そこにはどんなに恐ろしいことがあるのだろう。ー修行者は音のしないところに座臥(ざが)していても、それらを恐れて震(ふる)えてはならないのだが。

 

960 未到(みとう)の地におもむく人にとっては、この世にどれだけの危難があることだろう。ー修行者は辺鄙(へんぴ)なところに座臥(ざが)していても、それらの危難にうち克(か)たなければならないのだが。

 

961 熱心につとめる修行者には、いかなることばを発するべきか?ここでかれのふるまう範囲はいかにあるべきか?かれのまもる戒律や誓いはどのようなものなのですか?

 

962 心を安定させ気を落ちつけてている賢者は、どのような学修を身に受けて、自分の汚れを吹き去るのですか?ー譬(たと)えば加治工(かじこう)が垢(あか)を吹き去るように。」

 

 

963 師(ブッダ)は答えた、「サーリープッタよ。世を厭(いと)い、人なきところに趺坐し、さとりを欲する人が楽しむ境地および法にしたがって実践する次第を、わたくしの知り究めたところによって、そなたに説き示そう。

 

 

964 しっかりと気をつけ分限を守る聡明な修行者は、五種の恐怖におじけてはならない。すなわち襲いかかる虻(あぶ)や蚊(か)と爬虫類(はちゅうるい)と四足獣と人間(盗賊など)に触(ふ)れることである。

 

 

 

師(ブッダ)は答えた、「サーリープッタよ。世を厭(いと)い、世間の執着の対象である人なきところに趺坐し、人間的思考の運動(快⇔不快)を制して心と現象を観察し、さとり(真理)を欲する人が楽しむ境地および法にしたがって実践する次第を、わたくしの知り究めたところによって、そなたに説き示そう。

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、しっかりと気をつけ分別制することを守る聡明な修行者は、五種の恐怖におじけてはならない。すなわち襲いかかる虻(あぶ)や蚊(か)と爬虫類(はちゅうるい)と四足獣と人間(盗賊など)に触(ふ)れることである。そのような時にも、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、動揺してはならない。そうすることによって、現象より真理を見いだすことが出来るのである。

 

 

 

 

スッタニパータ 武器を執ること954のご法話

954 聖者は自分が等しい者どものうちにいるとも言わないし、劣った者のうちにいるとも、勝れた者のうちにいるとも言わない。かれは安らいに帰し、慳(ものおし)みを離れ、取ることもなく、捨てることもない。ーと師は説かれた。

 

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、分別から離脱した聖者は自分が等しい者どものうちにいるとも言わないし、劣った者のうちにいるとも、勝れた者のうちにいるとも言わない。かれは運動を離脱して安らいに帰し、何かを掴むこともないので慳(ものおし)みを離れ、取ることもなく、捨てることもない。それらの営みから解放されているのである。ーと師は説かれた。