787 諸々の事物に関してたより近づく人々は、あれこれの論議(誹り、噂さ)を受ける。(偏見や執着に)たより近づくことのない人を、どの言いがかりによって、どのように呼び得るであろうか?かれは執(しゅう)することもなく、捨てることもない。かれはこの世にありながら一切の偏見を掃い去っているのである。
自らの人間的思考の運動(好き⇔嫌い)にもとづいて何かを掴もうとする人々は、この世の中ではおおよそ半分の人々は、反対の意見、あるいは反対の見方をするのであるから誹りや噂は免れないのである。それらの思考の運動を制し、あるがままに全てを見る修行者は、何かを掴むこともなく捨てることもなくそれらの束縛から解放されているのである。
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