779 想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執着に汚されることなく、(煩悩の)矢を抜き去って、つとめ励んで行い、この世をもかの世をも望まない。
修行者は、自らの想いと言うものが、どこから来るのもなのか?人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制してそれらが作り出す激流を渡れ、それらを離れる事によって聖者は執着の対象を所有したいと言う想いに汚されることなく、煩悩の矢を抜き去って、自らの運動を制することを務め励んで行い、それらの想いがもたらす、この世とかの世の行き来、すなわち輪廻転生を乗り越えて遂には、その無限の連鎖から解脱するのである。
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