777 (何ものかを)わがものであると執着して動揺している人々を見よ。(かれらのありさまは)ひからびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである。これを見て、「わがもの」という思いを離れて行うべきである。ー諸々の生存に対して執着することなしに。
世の人々は、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)により自らが好きなものをわがものとして執着をする。それらの対象は、常に変化するのであるから、ひからびた流れにいる魚が水を求めるように対象は変化し失われる。そのような対象を人々は追いかけて執着をするのであるから、その対象は、失われ、人々は苦しむのである。それを知って、修行者は、対象に執着することなく手放し、無常を感じ、あるがままに対象を知って、世の中を遍歴するのである。
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