2017-09

スッタニパータ解説

スッタニパータ  老い813の解説

813 邪悪を掃い除いた人は、見たり学んだり思索したどんなことでも特に執着して考えることがない。かれは他のものによって清らかになろうとは望まない。かれは貪らず、また嫌うこともない。人間的思考の運動を制して邪悪を掃い除いた人は、見たり学んだり...
スッタニパータ解説

スッタニパータ  老い812の解説

812 たとえば蓮の葉の上の水滴、あるいは蓮華の上の水が汚されないように、それと同じく聖者は、見たり学んだり思索したどんなことについても、汚されることがない。汚されるとは、人間的思考の運動による反応の仕方をしてしまうことである。その反応の仕...
スッタニパータ解説

スッタニパータ  老い811の解説

811 聖者はなにものにもとどこおることなく、愛することもなく、憎むこともない。悲しみも慳(ものおし)みもかれを汚すことがない。譬(たと)えば(蓮(はす)の)葉の上の水が汚されないようなものである。聖者はなにものにもとどこおることなく、人間...
スッタニパータ解説

スッタニパータ  老い810の解説

810 遠ざかり退(しりぞ)いて行ずる修行者は、独り離れた座所に親しみ近づく。迷いの生存の領域のうちに自己を現さないのが、かれにふさわしいことであるといわれる。人々は、自らの周りを人間的思考の運動によって分別し、自らの好みにもとづいた執着の...
スッタニパータ解説

スッタニパータ  老い809の解説

809 わがものとして執着したものを貪り求める人々は、憂いと悲しみと慳(ものおし)みとを捨てることがない。それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて行って安穏(あんのん)を見たのである。わがものとして執着したものを貪り求める人々は、この無常の世で執...