808 「何の誰それ」という名で呼ばれ、かつては見られ、また聞かれた人でも、死んでしまえば、ただ名が残って伝えられるだけである。
人は、想いによって、様々な人生を生き、自らが理想とする自分にこだわり、人間的思考(快⇔不快)の運動によって、「わがもの」と欲するもので、自らの周りを取り囲み、ある時は、人から称賛されては喜び、また、ある時は、非難されては打ちのめされる。そして、最後の時を迎えた時に全てを失うのである。人は、「ああしたい」「こうしたい」「あれが欲しい」「これが欲しい」「あの人に会いたい」と言う様々な想いによって生まれてくるが、終焉を迎えた時、かれが手にできるものは何も無いのである。それは、我が身さえである。どんな人生を歩んだものであっても、残るのは名前だけである。そして、全てを失った人間は、その想いによってまた生まれてくる。実に人の生まれ変わりによって流した涙は、大海よりも多いという。それを知って修行者は、「わがもの」と言う想いを捨てよ。人間的思考(快⇔不快)の運動による喜びを捨てよ。その想いを捨て去った先に安穏があるのである。
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