スッタニパータ解説 スッタニパータ 悪意についての八つの詩句784の解説 784 汚れた見解をあらかじめ設(もう)け、つくりなし、偏重(へんちょう)して自分のうちのみ勝(すぐ)れた実りがあると見る人は、ゆらぐものにたよる平安に執着しているのである。人間的思考の運動(快⇔不快)を立ちあがたまま、汚れた見解をあらかじ... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 悪意についての八つの詩句783の解説 783 修行僧が平安となり、心が安静に帰して、戒律に関して「わたくしはこのようにしている」といって誇ることがないならば、世の中のどこにいても煩悩のもえ盛ることがないのであるから、かれは〈高貴な人〉である、と真理に達した人々は語る。修行僧が自... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 悪意についての八つの詩句782の解説 782 人から尋ねられたのではないのに、他人に向かって、自分が戒律や道徳を守っていると言いふらす人は、自分で自分のことを言いふらすのであるから、かれは「下劣な人」である、と真理に達した人は語る。人から尋ねられたのではないのに、他人に向かって... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 悪意についての八つの詩句781の解説 781 欲にひかれ、好みにとらわれている人は、どうして自分の偏見を超えることができるだろうか。かれは、みずから完全であると思いなしている。かれは知るにまかせて語るであろう。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止められず、欲にひかれ、好みにと... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 悪意についての八つの詩句780の解説 780 実に悪意をもって(他人を)誹(そし)る人々もいる。また他人から聞いた事を真実だと思って(他人を)誹る人々もいる。誹ることばが起っても、聖者はそれに近づかない。だから聖者は何ごとについても心の荒(すさ)むことがない。実に悪意=「人間的... スッタニパータ解説