スッタニパータ解説 スッタニパータ 悪意についての八つの詩句787の解説 787 諸々の事物に関してたより近づく人々は、あれこれの論議(誹り、噂さ)を受ける。(偏見や執着に)たより近づくことのない人を、どの言いがかりによって、どのように呼び得るであろうか?かれは執(しゅう)することもなく、捨てることもない。かれは... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 悪意についての八つの詩句786の解説 786 邪悪を掃(はら)い除いた人は、世の中のどこにいっても、さまざまな生存に対してあらかじめいだいた偏見が存在しない。邪悪を掃(はら)い除いた人は、いつわりと驕慢(きょうまん)と捨て去っているが、どうして(輪廻に)赴(おもむ)くであろうか... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 悪意についての八つの詩句785の解説 785 諸々の事物に関する固執(はこれこれのものであると)確かに知って、自己の見解に対する執着を超越することは、容易ではない。故に人はそれらの(偏執の)住居(すまい)のうちにあって、ものごとを斥(しりぞ)け、またこれを執(と)る。諸々の事物... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 悪意についての八つの詩句784の解説 784 汚れた見解をあらかじめ設(もう)け、つくりなし、偏重(へんちょう)して自分のうちのみ勝(すぐ)れた実りがあると見る人は、ゆらぐものにたよる平安に執着しているのである。自らの偏った見方にもとづいて想像し、自分のみ、すぐれた実りがあると... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 悪意についての八つの詩句783の解説 783 修行僧が平安となり、心が安静に帰して、戒律に関して「わたくしはこのようにしている」といって誇ることがないならば、世の中のどこにいても煩悩のもえ盛ることがないのであるから、かれは〈高貴な人〉である、と心理に達した人々は語る。修行僧が人... スッタニパータ解説