スッタニパータ解説 スッタニパータ 老い811の解説 811 聖者はなにものにもとどこおることなく、愛することもなく、憎むこともない。悲しみも慳(ものおし)みもかれを汚すことがない。譬(たと)えば(蓮(はす)の)葉の上の水が汚されないようなものである。聖者はなにものにもとどこおることなく、人間... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 老い810の解説 810 遠ざかり退(しりぞ)いて行ずる修行者は、独り離れた座所に親しみ近づく。迷いの生存の領域のうちに自己を現さないのが、かれにふさわしいことであるといわれる。人々は、自らの周りを人間的思考の運動によって分別し、自らの好みにもとづいた執着の... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 老い809の解説 809 わがものとして執着したものを貪り求める人々は、憂いと悲しみと慳(ものおし)みとを捨てることがない。それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて行って安穏(あんのん)を見たのである。わがものとして執着したものを貪り求める人々は、この無常の世で執... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 老い808の解説 808 「何の誰それ」という名で呼ばれ、かつては見られ、また聞かれた人でも、死んでしまえば、ただ名が残って伝えられるだけである。「何の誰それ」という名で呼ばれ、かつては見られ、また聞かれた人でも、死んでしまえば、ただ名が残って伝えられるだけ... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 老い807の解説 807 夢の中で会った人でも、目がさめたならば、もはやかれを見ることができない。それと同じく、愛した人でも死んでこの世を去ったならば、もはや再び見ることができない。夢の中で会った人でも、目がさめたならば、もはやかれを見ることができない。それ... スッタニパータ解説