スッタニパータ解説 スッタニパータ 清浄についての八つの詩句793の解説 793 かれは一切の事物について、見たり学んだり思索したことを制し、支配している。このように観じ、覆われることなしにふるまう人を、この世でどうして妄想分別させることができようか。かれは一切の事物について、見たり学んだり思索したことに対する自... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 清浄についての八つの詩句792の解説 792 みずから誓戒(せいかい)をたもつ人は、想いに耽(ふけ)って、種々雑多なことをしようとする。しかし智慧ゆたかな人は、ヴェーダによって知り、心理を理解して、種々雑多なことをしようとしない。人間的思考の運動(正⇔誤)による想いから誓戒(せ... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 清浄についての八つの詩句791の解説 791 前の(師など)を捨てて後の(師など)にたより、煩悩の動揺に従っている人々は、執着をのり超えることがない。かれらは、とらえては、また捨てる。猿が枝をとらえて、また放つようなものである。人間的思考の運動(正⇔誤)による信仰に陥ると、前の... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 清浄についての八つの詩句790の解説 790(真の)バラモンは、(正しい道の)ほかには、見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想のうちのどれによっても清らかになるとは説かない。かれは禍福に汚されることなく、自我を捨て、この世において(禍福の因を)つくることがない。目覚めた修行者は、中... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 清浄についての八つの詩句789の解説 789 もしも人が見解によって清らかになり得るのであるならば、あるいはまた人が智識によって苦しみを捨て得るのであるならば、それは煩悩にとらわれている人が(正しい道以外の)他の方法によっても清められることになるであろう。このように語る人を「偏... スッタニパータ解説