ご法話

スッタニパータ 清浄についての八つの詩句788のご法話

「最上で無病の、清らかな人をわたくしは見る。人が全く清らかになるのは人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす見解による」と、このように考えることを最上であると知って、清らかなことを観ずる人は、人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす見解を最上の...
ご法話

スッタニパータ 悪意についての八つの詩句787のご法話

諸々の事物=「両極端と呼ばれる対象」に関してたより近づく人々は、あれこれの論議(誹り、噂さ)を受ける。人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす偏見や執着にたより近づくことのない人を、どの言いがかりによって、どのように呼び得るであろうか?かれは...
ご法話

スッタニパータ 悪意についての八つの詩句786のご法話

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、邪悪を掃(はら)い除いた人は、世の中のどこにいっても、さまざまな生存に対してあらかじめいだいた偏見が存在しない。邪悪を掃(はら)い除いた人は、両極端を手放し、いつわりと驕慢(きょうまん)と捨て去って...
ご法話

スッタニパータ 悪意についての八つの詩句785のご法話

諸々の事物に関する固執=「自らの運動の癖」はこれこれのものであると確かに知って、自己の見解に対する執着を超越することは、容易ではない。故に人はそれらの偏執の住居(すまい)のうちにあって、人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げては、不快と感じ...
スッタニパータ解説

スッタニパータ 悪意についての八つの詩句784のご法話

人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げては、両極端に汚れた見解をあらかじめ設(もう)け、つくりなし、偏重(へんちょう)して自分のうちのみ勝(すぐ)れた実りがあると見る人は、運動によって「ゆらぐ=変化する」ものにたよる平安に執着しているのであ...