927 わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行ったりしてはならぬ。
わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行ったりしてはならぬ。あれこれうろつく事を手放し、あるがままに観察を怠ることなく行い真理を見よ。
suttanipata
info@suttanipata.com
927 わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行ったりしてはならぬ。
わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行ったりしてはならぬ。あれこれうろつく事を手放し、あるがままに観察を怠ることなく行い真理を見よ。
926 多く眠ってはならぬ。熱心に努め、目ざめているべきである。ものぐさ(面倒くさがること)と偽(いつわり)りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とを捨てよ。
思考を制することを怠って多く眠ってはならぬ。熱心に思考の運動を制することに努め、目ざめているべきである。ものぐさ(面倒くさがること)と偽(いつわり)りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とを捨てよ。求めさまよう事を捨て、中道を歩み彼の岸へと到達せよ。
925 こころを安定させよ。うろついてはならない。後で後悔するようなことをやめよ。怠(なま)けてはならぬ。そうして修行者は閑静(かんせい)な座所・臥所(がしょ)(寝る場所)に住まうべきである。
自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、中道を歩み、こころを安定させよ。両極端に、うろついてはならない。後で後悔するようなことをやめよ。思考を制することを怠(なま)けてはならぬ。そうして修行者は閑静(かんせい)な座所・臥所(がしょ)(寝る場所)である中道に住まうべきである。
924 食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、貯蔵してはならない。またそれらが得られないからとて心配してはならない。
食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、貯蔵してはならない。またそれらが得られないからとて心配してはならない。人間的思考の運動がもたらす「安心」⇔「不安」という思考の運動を制し、世の中を遍歴せよ。
923 苦痛を感じることがあっても、修行者は決して悲観してはならない。生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、慄(ふる)えてはならない。
苦痛を感じることがあっても、修行者は決して悲観してはならない。快を求めては、生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、慄(ふる)えてはならない。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、それらの動揺を制し、目の当りに見る現象をあるがままに観察し、真理を見るのである。
921 〔質問者いわく〕、「眼を開いた人は、みずから体験したことがら、危難の克服、を説いてくださいました。ねがわくは、正しい道を説いてください。戒律規定や、精神安定の法をも説いてください。」
922 〔師いわく〕、「眼で視ることを貪(むさぼ)ってはならない。卑俗な話から耳を遠ざけよ。味に耽溺(たんでき)してはならない。世間における何ものをも、わがものであるとみなして固執してはならない。
〔師いわく〕、「人間的思考の運動(美⇔醜)を制し、眼で視ることを貪(むさぼ)ってはならない。人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、卑俗な話から耳を遠ざけよ。人間的思考の運動(美味⇔不味)を制し、味に耽溺(たんでき)してはならない。世間における何ものをも、人間的思考の運動を制し、掴むことを止め、それらを手放し、わがものであるとみなして固執してはならない。
920 海洋の奥深いところでは波が起らないで、静止しているように、静止して不動であれ。修行者は何ものについても欲念をもり上らせてはならない。
海洋の奥深いところでは波が起らないで、静止しているように、自らの人間的思考の運動(優⇔劣)を制し、運動を静止して不動であれ。修行者は何ものについても、掴むことなく手放し、それらに対して欲念をもり上らせてはならない。
919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。内的に平安となった人には取り上げられるものは存在しない。どうして捨てられるものがあろうか。
修行者は、自らの人間的思考の運動(優⇔劣)を制し、心のうちが平安となれ。人間的思考の運動を制せずに、外に静穏を求めてはならない。中道を歩み、内的に平安となった人には取り上げられるものは存在しない。どうして捨てられるものがあろうか。
918 これ(慢心)によって『自分は勝れている』と想ってはならない。『自分は劣っている』とか、また『自分は等しい』とか想ってはならない。いろいろの質問を受けても、自己を妄想(もうそう)せずにおれ。
比較分別する人間的思考の運動(優⇔劣)がもたらす慢心によって『自分は勝れている』と想ってはならない。『自分は劣っている』とか、また『自分は等しい』とか想ってはならない。いろいろの質問を受けても、自己を妄想(もうそう)せずにおれ。常に人間的思考の運動(優⇔劣)によく気をつけて中道を歩むのである。
917 内的にでも外的にでも、いかなることがらをも知りぬけ。しかしそれによって慢心を起こしてはならない。それが安らいであるとは真理に達した人々は説かないからである。
内的にでも外的にでも、人間的思考の運動(快⇔不快)を制した観察によって、いかなることがらをも知りぬけ。しかしそれによって慢心を起こしてはならない。それが安らいであるとは真理に達した人々は説かないからである。慢心に偏る想いをも制して聖者は安らぎに帰すのである。