スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

suttanipata

info@suttanipata.com


Warning: Undefined array key 0 in /home/r6286533/public_html/suttanipata.com/wp-content/themes/hpb20170224161711/breadcrumb.php on line 127
スッタニパータ解説

スッタニパータ 迅速924の解説

924 食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、貯蔵してはならない。またそれらが得られないからとて心配してはならない。

 

食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、貯蔵してはならない。またそれらが得られないからとて心配してはならない。このような場合にも自らの人間的思考の運動(安心⇔不安)によく気をつけて修行を進めよ。

スッタニパータ 迅速923の解説

923 苦痛を感じることがあっても、修行者は決して悲観してはならない。生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、慄(ふる)えてはならない。

 

 

苦痛を感じることがあっても、修行者は決して悲観してはならない。思考の運動(快⇔不快)を止めて観察をするのである。生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、慄(ふる)えてはならない。このように常に自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ観察に努めるのである。

スッタニパータ 迅速922の解説

921 〔質問者いわく〕、「眼を開いた人は、みずから体験したことがら、危難の克服、を説いてくださいました。ねがわくは、正しい道を説いてください。戒律規定や、精神安定の法をも説いてください。」

 

922 〔師いわく〕、「眼で視ることを貪(むさぼ)ってはならない。卑俗な話から耳を遠ざけよ。味に耽溺(たんでき)してはならない。世間における何ものをも、わがものであるとみなして固執してはならない。

 

〔師いわく〕、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、「眼で視ること「美⇔醜」を貪(むさぼ)ってはならない。卑俗な話「快⇔不快」から耳を遠ざけよ。味に耽溺(たんでき)「美味⇔不味」してはならない。世間における何ものをも、両極端を掴もうとし、わがものであるとみなして固執してはならない。

 

スッタニパータ 迅速920の解説

920 海洋の奥深いところでは波が起らないで、静止しているように、静止して不動であれ。修行者は何ものについても欲念をもり上らせてはならない。

 

海洋の奥深いところでは波が起らないで、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、静止しているように、静止して不動であれ。修行者は何ものについても欲念をもり上らせてはならない。

スッタニパータ 迅速919の解説

919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。内的に平安となった人には取り上げられるものは存在しない。どうして捨てられるものがあろうか。

 

 

修行者は自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、心のうちが平安となれ。外(現象)に静穏を求めてはならない。内的に平安となった人には取り上げられるものは存在しない。どうして捨てられるものがあろうか。

スッタニパータ 迅速918の解説

918 これ(慢心)によって『自分は勝れている』と想ってはならない。『自分は劣っている』とか、また『自分は等しい』とか想ってはならない。いろいろの質問を受けても、自己を妄想(もうそう)せずにおれ。

 

 

これ(慢心)によって『自分は勝れている』と想ってはならない。『自分は劣っている』とか、また『自分は等しい』とか想ってはならない。いろいろの質問を受けても、自己を妄想(もうそう)せずにおれ。それらは全て人間的思考の運動(勝る⇔劣る)だからである。

スッタニパータ 迅速917の解説

917 内的にでも外的にでも、いかなることがらをも知りぬけ。しかしそれによって慢心を起こしてはならない。それが安らいであるとは真理に達した人々は説かないからである。

 

 

内的にでも外的にでも、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め中道の眼によっていかなることがらをも知りぬけ。しかしそれによって慢心を起こしてはならない。それが安らいであるとは真理に達した人々は説かないからである。

スッタニパータ 迅速916の解説

915 〔問うていわく、ー〕「太陽の裔(すえ)である偉大な仙人(ブッダ)、あなたに、遠ざかり離れること平安の境地とをおたずねします。修行者はどのように観じて、世の中の何ものをも執することなく、安らいに入るのですか?」

 

916 師(ブッダ)は答えた、「〈われは考えて。有る〉という〈迷わせる不当な思惟〉の根本をすべて制止せよ。内に在するいかなる妄執をもよく導くために、常に心して学べ。

 

師(ブッダ)は答えた、「〈われは考えて。有る〉という〈迷わせる不当な思惟〉=人間的思考の運動(ある⇔ない)の根本をすべて制止せよ。内に在するいかなる妄執をもよく導くために、常に心して学べ。

スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇914の解説

914 見たり、学んだり、考えたりしたどんなことについてでも、賢者は一切の事物に対して敵対することがない。かれは負担をはなれて解放されている。かれははからいをなすことなく、快楽に耽(ふけ)ることなく、求めることもない。ー師はこのように言われた。

 

 

見たり、学んだり、考えたりしたどんなことについてでも、賢者は一切の事物に対して人間的思考の運動(快⇔不快)を制するので敵対することがない。かれは両極端の負担をはなれて解放されている。かれは両極端を得るためにはからいをなすことなく、快楽に耽(ふけ)ることなく、求めることもない。ー師はこのように言われた。

スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇913の解説

913 過去の汚れを捨てて、新しい汚れをつくることなく、欲におもむかず、執着して論ずることもない。賢者は諸々の偏見を離脱して、世の中に汚されることなく、自分を責めることもない。

 

 

過去に人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げ分別した汚れを捨てて、新しい汚れ=分別をつくることなく=人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、欲におもむかず、執着して論ずることもない。賢者は諸々の偏見を離脱して、世の中に汚されることなく、自分を責めることもない。