スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ解説

スッタニパータ 学生ピンギヤの質問1124の解説

1146 「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域(りょういき)の彼岸(ひがん)に至るであろう。ピンギヤよ。」

 

 

 

ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、教えによって理解はできても、覚ることはできないと知り、人間的思考の運動(信⇔疑)を制し、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。何かに依存することは、それすなわちこの無常の世では苦しみだと知り、覚りは、自らの知見によってのみ得られることを知り、自ら真理を知ることによって、そなたは死の領域(りょういき)を乗り越えたの彼岸(ひがん)に至るであろう。ピンギヤよ。

スッタニパータ 学生ピンギヤの質問1123の解説

1122 「四方と思惟(しい)と上と下と、これらの十方の世界において、あなたに見られず聞かれず考えられずまた識(し)られないなにものもありません。どうか理法を説いてください。それをわたくしは知りたいのです、ーこの世において生と老衰とを捨て去ることを。」

 

 

1123 師(ブッダ)は答えた、「ピンギヤよ。ひとびとは妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、ピンギヤよ、そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ピンギヤよ。ひとびとは人間的思考の運動(快⇔不快)により妄執に陥って苦悩を生じ、この無常の世に生まれては、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、ピンギヤよ、そなたは怠ることなく人間的思考の運動を制することにはげみ、妄執を捨てて、無常を知見し、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」

スッタニパータ 学生ピンギヤの質問1121の解説

1120 ピンギヤさんがたずねた、「わたくしは年をとったし、力もなく、容貌も衰えています。眼もはっきりしませんし、耳もよく聞こえません。わたくしが迷ったままで途中で死ぬことのないようにしてください。ーどうしたらこの世において生と老衰とを捨て去ることができるか、そのことわりを説いてください。それをわたくしは知りたいのです。」

 

 

1121 師(ブッダ)は答えた、「ピンギヤよ。物質的な形態があるが故に、人々が害(そこな)われるのを見るし、物質的な形態があるが故に、怠る人々は(病いなどに)悩まされる。ピンギヤよ。それ故に、そなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。」

 

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ピンギヤよ。無常で変化する物質的な形態があるが故に、人々が害(そこな)われるのを見るし、無常で変化する物質的な形態があるが故に、人間的思考の運動による反応の仕方を制することを怠る人々は病いなどに悩まされる。ピンギヤよ。それ故に、そなたは人間的思考の運動による反応の仕方を制することを怠ることなく、無常を観じて物質的形態を捨てて、解脱し、再び生存状態にもどらないようにせよ。」

スッタニパータ 学生モーガラージャの質問1119の解説

1116 モーガラージャさんがたずねた、「わたくしはかつてシャカ族の方に二度おたずねしましたが、眼(まなこ)ある方(釈尊)はわたくしに説明してくださいませんでした。しかし『神仙(釈尊)は第三回目には説明してくださる』とわたくしは聞いております。

 

1117 この世の人々も、かの世の人々も、神々と、梵天(ぼんてん)の世界の者どもも、誉(ほま)れあるあなたゴーダマ(ブッダ)の見解を知ってはいません。

 

1118 このように絶妙な見者(みて)におたずねしようとしてここに来ました。どのように世間を観察する人を、死王は見ることがないのですか?」

 

1119 (ブッダが答えた)、「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空(くう)なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、〈死の王〉は見ることがない。」

 

 

 

ブッダが答えた、「つねに自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、自らの両極端に偏った見方に固執する見解をうち破って、世界を空(くう)=無常なりと観ぜよ。そうすれば、自ら智慧を獲得して、死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、死の王=輪廻の素因は、見ることがない。」

 

スッタニパータ 学生ポーサーラの質問1115の解説

1115 無所有の成立するもとを知って、すなわち『歓喜は束縛である』ということを知って、それをこのとおりであると知って、そこから(出て)それについてしずかに観ずる。安立したそのバラモンには、この〈ありのままに知る智〉が存する。」

 

 

全てを手放し、無所有の成立するもとを知って、すなわち『歓喜は束縛である』ということを知って、目の前に現れた現象をこのとおりであると知って、人間的思考の運動(歓喜⇔誹謗)から出て、現象についてしずかに観ずる。心を安立したその修行者には、このありのままに知る智が存する。

 

 

スッタニパータ 学生ポーサーラの質問1114の解説

1112 ポーサーラさんがたずねた、「過去のことがらを説示し、悩み動揺することなく、疑惑を断ち、一切の事物を究めつくした(師)におたずねするために、ここに来ました。

 

1113 物質的なかたちの想いを離れ、身体をすっかり捨て去り、内にも外にも『なにものも存在しない』と観ずる人の智を、わたくしはおたずねするのです。シャカ族の方よ。そのような人はさらにどのように導かれねばなりませんか?」

 

1114 師(ブッダ)は答えた、「ポーサーラよ。すべての〈識別作用の住するありさま〉を知りつくした全き人(如来(にょらい))は、かれの存在するありさまを知っている。すなわち、かれは解脱(げだつ)していて、そこをよりどころとしていると知る。

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ポーサーラよ。自らの人間的思考の運動による反応の仕方を知りつくし、すべての識別作用の住するありさまを知りつくした全き人如来(にょらい)は、かれの存在するありさまを知っている。すなわち、かれは知見によって解脱(げだつ)していて、そこをよりどころとしていると知る。

スッタニパータ 学生ウダヤの質問1111の解説

1110 「どのようによく気をつけて行なっている人の識別作用が、止滅(しめつ)するのですか?それを先生におたずねするためにわたくしはやってきたのです。あなたのそのおことばをお聞きしたいのです。」

 

 

1111 「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、このようによく気をつけて行なっている人、の識別作用が止滅するのである。」

 

 

 

内面的すなわち心で感受する感覚を人間的思考の運動(快⇔不快)に分けないにも外面的すなわち蝕により感受する感覚を人間的思考の運動(快⇔不快)に分けることを制し、感覚的感受を喜ばない人あるいは排除しない人、このようによく気をつけて行なっている人の両極端に分ける識別作用が止滅するのである。そのためには自らの反応の仕方と同時に心をもよく観察しよく制することが肝要である。

スッタニパータ 学生ウダヤの質問1109の解説

1108 「世人は何によって束縛(そくばく)されているのですか?世人をあれこれ行動させるものは何ですか?何を断ずることによって安らぎ(ニルヴァーナ)があると言われるのですか?」

 

 

 

1109 「世人は歓喜に束縛されている。思わくが世人をあれこれ行動させるものである。妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。」

 

 

 

世人は歓喜を得るために束縛されている。歓喜を得ようと思う思わくが世人をあれこれ行動させるものである。人間的思考の運動(歓喜⇔誹謗)を制して妄執を断ずることによって心の運動が止まり安らぎがあると言われる。

スッタニパータ 学生ウダヤの質問1107の解説

1107 平静な心がまえと念(おも)いの清らかさ、ーそれらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、ーこれが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」

 

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を制した平静な心がまえと「こだわり」を制した念(おも)いの清らかさ、ーそれらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、ーこれが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」

スッタニパータ 学生ウダヤの質問1106の解説

1105 ウダヤさんがたずねた、「瞑想に入って坐(ざ)し、塵垢(ちりあか)を離れ、為(な)すべきことを為しおえ、煩悩の汚れなく、一切の事物の彼岸(ひがん)に達せられた(師)におたずねするために、ここに来ました。無明(むみょう)を破ること、正しい理解による解脱(げだつ)、を説いてください。」

 

 

1106 師(ブッダ)は答えた、「ウダヤよ。愛欲と憂(うれ)いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨(かいこん)をやめること。

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ウダヤよ。愛欲と憂(うれ)いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨(かいこん)をやめること。愛欲には、嫉妬、貪りなど様々な煩悩が付随し、憂いは、輪廻を招き、浮き沈みは人間的思考の運動である。悔恨もまた輪廻へと繋がる。これらの荒波を知ってよくこの心の動きに注意すべきである。この無常の世でいかなるものあるいはいかなる形へ執着をしてもそれは叶わず苦へと牽引される。