スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ解説

スッタニパータ パスーラ825の解説

825 かれらは論議を欲し、集会に突入し、相互に他人を〈愚者である〉と烙印(らくいん)し、他人(師など)をかさに着て、論争を交(かわ)す。ーみずから真理に達した者であると称しながら、自分が称賛されるようにと望んで。

 

 

実にかれらは、人間的思考の運動(正⇔誤)により論議を欲し、集会に突入し、相互に他人を愚者であると烙印(らくいん)し、師などをかさに着て、論争を交(かわ)す。ーみずから真理に達した者であると称しながら、自分が称賛されるようにと望んで。自分、その他と言う分別を打ち破ることができずにいるのである。

 

 

スッタニパータ パスーラ824の解説

824 かれらは「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、他の諸々の教えは清らかでないと説く。「自分が依拠しているもののみ善である」と説きながら、それぞれ別々の真理に固執(こしゅう)している。

 

 

かれらは「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、他の諸々の教えは清らかでないと人間的思考の運動(正⇔誤)によって説く。その分別したもののうち「自分が依拠しているもののみ善である」と説きながら、それぞれ別々の真理に固執(こしゅう)している。真理は、自らの前に広がるものであり執着の対象でもない。今、修行者の目の当たりに広がるものこそが真理なのである。

 

スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ823の解説

823 聖者は諸々の欲望を顧(かえり)みることなく、それを離れて修行し、激流を渡りおわっているので、諸々の欲望に束縛(そくばく)されている人々はかれを羨(うらや)むのである。」ー

 

 

聖者は諸々の欲望には、様々なリスクが付着していることを知って欲望を顧(かえり)みることなく、それを離れて修行し、人間的思考の運動(苦⇔楽)がもたらす激流を渡りおわっているので、諸々の欲望に束縛(そくばく)されている人々は、眼に見えぬ苦に覆われている自らを知って、かれを羨(うらや)むのである。そしていずれはその苦がかれらに襲いかかるのである。

スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ822の解説

822 (俗事から)離れて独り居ることを学べ。これは諸々の聖者にとって最上のことがらである。(しかし)これだけで『自分が最上の者だ』と考えてはならない。ーかれは安らぎに近づいているのだが。

 

 

俗事から離れて独り居ることを学べ。俗事において何かを得たとしても、それは、失われる運動の範疇にある。それを知って俗事を離れる。これは諸々の聖者にとって最上のことがらである。しかしこれだけで『自分が最上の者だ』と考えてはならない。ーかれは、運動を離れて、安らぎに近づいているのだが、継続することが肝要である。

スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ821の解説

821 聖者はこの世で前後にこの災いのあることを知り、独りでいる修行を堅(かた)くまもれ。淫欲の交わりに耽ってはならない。

 

 

聖者はこの世で淫欲による心の動揺には前後にこの思考の運動(快⇔不快)による災いのあることを知り、運動を離れて、独りでいる修行を堅(かた)くまもれ。世の人々は、快を貪っては、不快が、あるいは、それを得るための邪な考えが、かれに付きまとい心が混濁するのであるから、淫欲の交わりに耽ってはならない。

スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ820の解説

820 独りでいる修行をまもっていたときには一般に賢者と認められていた人でも、もしも淫欲の交わりに耽ったならば、愚者のように悩む。

 

 

両極端を制して、独りでいる修行をまもっていたときには一般に賢者と認められていた人でも、もしも人間的思考の運動(快⇔不快)が動き出して、淫欲の交わりに耽ったならば、それらを追い求める想いによって、愚者のように悩む。

スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ819の解説

819 そうして他人に詰(なじ)られた時には虚言に陥(おちい)る。すなわち、[自らを傷つける]刃(悪行)をつくるのである。これがかれの大きな難所である。

 

 

想いに捉われているが故に、他人に詰(なじ)られた時には、ごまかそうと虚言に陥(おちい)る。すなわち、自らを傷つける刃(悪行)をつくるのである。これがかれの大きな難所であり、ネガティブなループである。

スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ818の解説

818 かれは諸々の(欲の)想いに囚(とら)われて、困窮者のように考えこむ。このような人は、他人からのとどろく非難の声を聞いて恥じいってしまう。

 

 

 

かれには人間的思考の運動(快⇔不快)による諸々の欲の想いに囚(とら)われて、心が動揺し、困窮者のように考えこむ。このように心が動揺する人は、他人からのとどろく非難の声を聞いて恥じいってしまう。

スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ817の解説

817 かつてかれのもっていた名誉も名声も、すべて失われる。このことわりをも見たならば、淫欲の交わりを断つことを学べ。

 

 

かつてかれのもっていた名誉も名誉よりも、かれの思考は、両極端を追い求め、すべてが失われる。このことわりをも見たならば、自らの快⇔不快による運動を制して、淫欲の交わりを断つことを学べ。

スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ816の解説

816 かつては独りで暮らしていたのに、のちに淫欲の交わりに耽る人は、車が道からはずれたようなものである。世の人々はかれを『卑しい』と呼び、また『凡夫』と呼ぶ。

 

 

かつては自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、独りで暮らしていたのに、のちに淫欲の交わりに耽る人は、車が道からはずれてわき道に落ちたようなものである。世の人々はかれを『卑しい』と呼び、また『凡夫』と呼ぶ。