視点集

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スッタニパータ 783 (第5の視点)

スッタニパータ783詩句から読み解く、第5の視点。人間的思考の運動を制して思考を止めることで、戒律を誇るような心の動きが生じない者は、どこにいても煩悩が燃え盛ることのない高貴な人であるという修行の本質を記録。
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スッタニパータ 782 (第5の視点)

スッタニパータ782詩句から読み解く、第5の視点。人から尋ねられていないのに戒律や道徳の遵守を言いふらすことは、誉め言葉という快を求める行為である。その姿は、人間的思考の運動(快・不快)を止められない人であると真理に達した人は語るという修行の本質を記録。
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スッタニパータ 781 (第5の視点)

スッタニパータ781詩句から読み解く、第5の視点。人間的思考の運動(好き・嫌い)が立ち上がり、欲や好みに捉われている人はその運動の渦中にあるため、自身の偏見を超えることはできない。かれは自身の思考の運動による分け方を完全だと誤認しているが、その運動を止めない限りは半分を見落とすことになり、真理を完全に見ることはできないという修行の本質を記録。
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スッタニパータ 780 (第5の視点)

スッタニパータ780詩句から読み解く、第5の視点。人間は良し悪しという分別的な思考の運動によって他者を誹る言葉を生み出す。聖者はその人間的思考の運動である分別を制して分けることがない。結果として誹る言葉や思考に左右されず、心が荒むこともなく安らぎに帰しているという修行の本質を記録。
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スッタニパータ 779 (第5の視点)

スッタニパータ779詩句から読み解く、第5の視点。目の前の現象と自身の反応(想い)を知り尽くし、煩悩の激流を渡る。聖者は無常を察して執着を離れ、煩悩の矢を抜き去り心を観察する。この世や彼の世に対する人間的思考の運動を制し、何物も望むことはない修行の本質を記録。