1060 またかの人はこの世では悟った人であり、ヴェーダの達人であり、種々の生存に対するこの執著を捨てて、妄執を離れ、苦悩なく、望むことがない。『かれは生と老衰とを乗り超えた』とわたくしは説く。」
またかの人は自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、真理を見、この世では悟った人であり、修行の達人であり、心と現象の観察によって種々の生存に対するこの執著を捨てて、妄執を離れ、苦悩なく、望むことがない。真理を知った『かれは生と老衰とを乗り超えた』とわたくしは説く。」
suttanipata
info@suttanipata.com
1060 またかの人はこの世では悟った人であり、ヴェーダの達人であり、種々の生存に対するこの執著を捨てて、妄執を離れ、苦悩なく、望むことがない。『かれは生と老衰とを乗り超えた』とわたくしは説く。」
またかの人は自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、真理を見、この世では悟った人であり、修行の達人であり、心と現象の観察によって種々の生存に対するこの執著を捨てて、妄執を離れ、苦悩なく、望むことがない。真理を知った『かれは生と老衰とを乗り超えた』とわたくしは説く。」
1057 「偉大な仙人のこのことばを聞いて、わたくしは喜びます。ゴータマ(ブッダ)さま。煩悩の要素のない境地がよく説き明かされました。たしかに先生は苦しみを捨てられたのです。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるのです。
1058 聖者さま。あなたが懇切に教えみちびかれた人々もまた今や苦しみを捨てるでしょう。竜よ。では、わたくしは、あなたの近くに来て礼拝しましょう。先生!どうか、わたくしをも懇切に教えみちびいてください。」
1059 「何ものをも所有せず、欲の生存に執著しないバラモン・ヴェーダの達人であるとそなたが知った人、ーかれは確かにこの煩悩の激流をわたった。かれは彼岸(ひがん)に達して、心の荒(すさ)びなく、疑惑もない。
自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、何ものをも所有せず、欲の生存に執著しない修行の達人であるとそなたが知った人、ーかれは確かにこの煩悩の激流をわたった。かれは全ての思考の運動を制し、観察によって真理を見る事によって彼岸(ひがん)に達して、心の荒(すさ)びもない。それは、目の当たりに見る理法によって疑いようのない真実なのである。
1056 このようにしていて、よく気をつけ、怠ることなく行う修行者は、わがものとみなして固執したものを捨て、生や老衰や憂(うれ)いや悲しみをも捨てて、この世で智者となって、苦しみを捨てるであろう。」
このようにしていて、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、怠ることなく現象と心の観察を行う修行者は、運動によって、わがものとみなして固執したものを捨て、生や老衰や憂(うれ)いや悲しみをも捨てて、この世で智者となって、理法を見、苦しみを捨てるであろう。」
1054 「偉大な仙人さま。わたくしはその最上の理法を受けて歓喜します。その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り超えるでしょう。」
1055 師が答えた、「メッタグーよ。上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それらに対する喜びと偏執と識別とを除き去って、変化する生存状態のうちにとどまるな。
師が答えた、「メッタグーよ。上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それらに対する人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、喜びと偏執と識別とを除き去って、それらの運動によって変化する生存状態のうちにとどまるな。自らの運動を止めない限りこの変化する世界から逃れることは出来ないからである。
1052 「われらがあなたにおたずねしましたことを、あなたはわれらに説き明かしてくださいました。あなたに他のことをおたずねしますが、そうかそれを説いてください。どのようにしたならば、諸々の賢者は煩悩の激流、生と老衰、憂いと悲しみとを乗り超えるのですか?聖者さま。どうかそれをわたくしに説き明かしてください。あなたはこの法則をあるがままに知っておられるからです。」
1053 師が答えた、「メッタグーよ。伝承によるのではなくて、いま眼(ま)のあたり体得されるこの理法を、わたしはそなたに説(と)き明(あか)かすであろう。その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り超えよ。
師が答えた、「メッタグーよ。伝え聞いた伝承によるのではなくて、いま眼(ま)のあたり体得される人間的思考の運動(快⇔不快)を制して目の前の現象と自らの心を観察することによって気づくこの理法を、わたしはそなたに説(と)き明(あか)かすであろう。その理法を知って、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけて観察を行い、世間の執著を乗り超えよ。
1051 実に知ることなくして執著をつくる人は愚鈍であり、くり返し苦しみに近づく。だから、知ることであり、苦しみの生起のもとを観じた人は、再生の素因(=執著)をつくってはならない。」
実に人間的思考の運動(快⇔不快)を止める修行を知ることなくして執著をつくる人は愚鈍であり、くり返し苦しみに近づく。だから、人間的思考の運動(快⇔不快)を止める事を知ることであり、運動によって苦しみの生起のもとを観じた人は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止める事によって再生の素因(=執著)を制して、苦しみをつくってはならない。」
1049 メッタグーさんがたずねた、「先生!あなたにおたずねします。このことをわたしに説いてください。あなたはヴェーダの達人、心を修養された方だとわたくしは考えます。世の中にある種々様々な、これらの苦しみは、そもそもどこから現われ出たのですか。」
1050 師(ブッダ)は答えた、「メッタグーよ。そなたは、わたしに苦しみの生起するもとを問うた。わたしは知り得たとおりに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、執著(しゅうじゃく)を縁として生起する。
師(ブッダ)は答えた、「メッタグーよ。そなたは、わたしに苦しみの生起するもとを問うた。わたしは知り得たとおりに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、この無常の世に気づかず、失われる対象に対して人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げ、それらの対象に執著(しゅうじゃく)をすることを縁として生起する。
1047 プンナカさんがいった、「もしも供犠に専念している彼らが祭祀によっても生と老衰とを乗り超えていないのでしたら、わが親愛なる友よ、では神々と人間の世界のうちで生と老衰とを乗り超えた人は誰なのですか?先生!あなたにお尋ねします。それをわたしに説いてください。」
1048 師が答えた、「プンナカよ。世の中でかれこれ(の状態)を究(きわ)め明(あか)らめ、世の中で何ものにも動揺することなく、安らぎに帰(き)し、煙なく、苦悩なく、望むことのない人、ーかれは生と老衰とを乗り超えた、ーとわたしは説く。」
師が答えた、「プンナカよ。この無常の世の中でどのような思考の反応によって生まれたのか?どのような反応の仕方によって今があるのか?かれこれの状態を究(きわ)め明(あか)らめ、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、世の中で何ものにも動揺することなく、安らぎに帰(き)し、煙なく、苦悩なく、望むことのない人、ーかれは自らの思考の運動による想いを制し、生と老衰とを乗り超えた、ーとわたしは説く。」これが無常の世からの解脱である。
1045 プンナカさんがいった、「先生!およそこの世で仙人や常の人々や王族やバラモンが盛んに神々に犠牲を捧げましたが、祭祀(さいし)の途において怠らなかったかれらは、生と老衰をのり超えたのでしょうか?わが親愛なる友よ。あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」
1046 師は答えた、「プンナカよ。かれらは希望し、称讃し、熱望して、献供する。利得を得ることに縁(よ)って欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠(くぎ)に専念している者どもは、この世の生存を貪(むさぼ)って止(や)まない。かれらは生や老衰をのり超えていない、とわたしは説く。」
師は答えた、「プンナカよ。かれらは人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げ、希望し、称讃し、熱望して、献供する。利得を得ることに縁(よ)って両極端の欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠(くぎ)に専念している者どもは、両極端を求めながら、この世の生存を貪(むさぼ)って止(や)まない。運動を止められないかれらは生や老衰をのり超えていない、とわたしは説く。」
1043 プンナカさんがたずねた、「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、参りました。仙人や常の人々や王族やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧(ささ)げたのですか?先生!あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」
1044 師(ブッダ)は答えた、「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」
師(ブッダ)は答えた、「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、人間的思考の運動(優⇔劣)により、われらの現在のこのような生存状態を希望して、人間的思考の運動(若⇔老)を立ち上げて、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」それらによって一時的に何かを得たとしても、思考の運動を止めない限りこの無常の世から逃れる事は出来ないのである。