932 諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その(不快な)ことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は敵対的な返答をしないからである。
諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その不快なことばを多く聞いても、人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方を制し、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は両極端による敵対的な返答をしないからである。
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932 諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その(不快な)ことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は敵対的な返答をしないからである。
諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その不快なことばを多く聞いても、人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方を制し、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は両極端による敵対的な返答をしないからである。
931 虚言をなすことなかれ。知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、自分が他人よりもすぐれていると想ってはならない。
人間的思考の運動(優⇔劣)によって、何かを得ようとし、虚言をなすことなかれ。知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。これが痴である。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、人間的思考の運動(優⇔劣)を制して、自分が他人よりもすぐれていると想ってはならない。
930 また修行者は高慢であってはならない。また(自分の利益を得るために)遠回しに策したことばを語ってはならない。傲慢(ごうまん)であってはならない。不和をもたらす言辞を語ってはならない。
また修行者は、あるがままにとらえるのみに努め、高慢であってはならない。また人間的思考の運動(利益⇔不利)を制して、自分の利益を得るために遠回しに策したことばを語ってはならない。人間的思考の運動(浮き⇔沈み)を制して傲慢(ごうまん)であってはならない。心は常に寂静にして不動であり、不和をもたらす言辞を語ってはならない。
929 修行者は、売買に従事してはならない。決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。また村の人々と親しく交わってはならない。利益を求めて人々に話しかけてはならない。
修行者は、人間的思考の運動(喜⇔怒)を制し、売買に従事してはならない。人間的思考の運動(喜⇔怒)を制し、決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。人間的思考の運動(喜⇔怒)を制し、村の人々と親しく交わってはならない。人間的思考の運動(喜⇔怒)を制し、利益を求めて人々に話しかけてはならない。修行者は、常に、自らの想い描いた想いに執着することなく、無常を感じ感情の波が高ぶることもなく苦を離脱したところを歩むのもである。
928 修行者は、非難されても、くよくよしてはならない。称讃されても、高ぶってはならない。貪欲(とんよく)と慳(ものおし)みと怒りと悪口とを除き去れ。
修行者は、人間的思考の運動(称賛⇔非難)による反応の仕方を制し、非難されても、くよくよしてはならない。称讃されても、高ぶってはならない。人間的思考の運動(称賛⇔非難)からくるところの称賛を得たいという貪欲(とんよく)と称賛を失いたくないという慳(ものおし)みと非難に対する怒りと反対者への悪口とを除き去れ。聖者は、物事をありのまま、観察し、感情による反応を制して寂静を貫け。
927 わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行ったりしてはならぬ。
わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いによっても人間的思考の運動(喜⇔怒)を立ち上げてはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術によっても人間的思考の運動(喜⇔怒)を立ち上げてはなぬ。世の人々は自らが思い描いた未来に執着をし、それが得られれば喜び、得られなければ怒るという人間的思考の運動をするものである。その想いがまた、禍福の未来を作ってしまうのである。
926 多く眠ってはならぬ。熱心に努め、目ざめているべきである。ものぐさ(面倒くさがること)と偽(いつわり)りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とを捨てよ。
多く眠ってはならぬ。熱心に人間的思考の運動を制することに努め、よく観察し、目ざめているべきである。人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす貪りにより起こる、ものぐさ(面倒くさがること)と偽(いつわり)りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とを捨てよ。
925 こころを安定させよ。うろついてはならない。後で後悔するようなことをやめよ。怠(なま)けてはならぬ。そうして修行者は閑静(かんせい)な座所・臥所(がしょ)(寝る場所)に住まうべきである。
人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、こころを安定させよ。両極端にうろついてはならない。両極端による痴によって後で後悔するようなことをやめよ。運動を制することを怠(なま)けてはならぬ。そうして修行者は、心が、中道であり、閑静(かんせい)な座所・臥所(がしょ)(寝る場所)、寂静な場所に住まうべきである。
924 食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、貯蔵してはならない。またそれらが得られないからとて心配してはならない。
食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、貯蔵して「安心」してはならない。またそれらが得られないからとて「心配」してはならない。聖者は、この両極端の人間的思考の運動(安心⇔不安)を制して安穏を観たのである。
923 苦痛を感じることがあっても、修行者は決して悲観してはならない。生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、慄(ふる)えてはならない。
苦痛を感じることがあっても、修行者は決して悲観してはならない。反応の仕方を制し、寂静にして、ありのままを観察せよ。両極端に基づいた想いを制し、生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、慄(ふる)えてはならない。反応の仕方を制し、寂静にして、ありのままを観察せよ。修行者は、目の前の現象に心動揺することなく、寂静にして中道を歩むのである。