スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ 武器を執ること942の解説

942 安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。

 

 

安らぎを心がける人は、常に目覚め、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。うまくいっても、高慢な態度をとるな。このように人間的思考の運動(高慢⇔怠惰)という運動にも気をつけ、自らの心で、自らの反応の仕方を見張るのである。

スッタニパータ 武器を執ること941の解説

941 聖者は誠実であれ。傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。

 

 

 

聖者は誠実であれ。痴である傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、瞋を立ち上げて怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。すなわち貪瞋痴による反応の仕方を制して、八正道を歩むのである。

スッタニパータ 武器を執ること940の解説

940 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。

 

 

 

そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー自らの反応の仕方を制し、世間における諸々の執着による束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望をすなわち人間的思考の運動(好き⇔嫌い)による反応の仕方を究(きわ)めつくして、両極端を制して、自己の安らぎを学べ。

スッタニパータ 武器を執ること939の解説

939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。

 

 

 

この煩悩の矢に貫かれた者は、欲したものを得ようと、あらゆる方角をかけめぐる。両極端を制して、この矢を引き抜いたならば、あちこちを駆(か)けめぐることもなく、得られないからと言って沈むこともない。

スッタニパータ 武器を執ること938の解説

938 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。

 

 

 

生きとし生けるものは死に直面した時においては違逆に会うような苦しみに襲われるのを見て、わたくしは気の毒になった。またわたくしはその生けるものどもの心の中に見がたき生への執着による煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。かれはまたその矢によってまた、生まれては、死ぬ。

スッタニパータ 武器を執ること937の解説

937 世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。

 

 

 

世界はどこも寂静ではない。どの方角でもすべて両極端に動揺したエネルギーに満ちている。わたくしは、動揺しているエネルギーに侵されていない自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに死や苦しみなどのエネルギーにとりつかれていないところを見つけなかった。

スッタニパータ 武器を執ること936の解説

936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。

 

 

 

水の少ないところにいる魚のように、いつ死ぬかわからない想いに人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。かれらは、時には殺され、時には殺し、繰り返される殺戮の運動に陥り自らもいつ死ぬかわからない状況へ陥ったのである。

スッタニパータ 武器を執ること935の解説

935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。

 

 

 

殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから自らも打たれる恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)いその争闘による運動を離れたその衝撃を宣(の)べよう。

スッタニパータ 迅速934の解説

934 かれは、みずから勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに礼拝して、従い学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。

 

 

 

かれは、みずからの煩悩に勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずからを観察し、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに礼拝して、従い自らの中に理法を学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。

スッタニパータ 迅速933の解説

933 修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに気をつけて学べ。諸々の煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて怠ってはならない。

 

 

 

修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに人間的思考の運動(快⇔不快)に気をつけて学べ。諸々の両極端による煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて怠ってはならない。