スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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学生ドータカの質問

1061 ドータカさんがたずねた、「先生!わたくしはあなたにおたずねします。このことをわたくしに説いてください。偉大な仙人さま。わたくしはあなたのおことばを頂きたいのです。あなたのお声を聞いて、自分の安らぎ(ニルヴァーナ)を学びましょう。」

1062 師(ブッダ)が答えた、「ドータカよ。では、この世において賢明であり、よく気をつけて、熱心につとめよ。この(わたくしの口)から出る声を聞いて、自己の安らぎを学べ。」

1063 「わたくしは、神々と人間との世界において何ものも所有せずにふるまうバラモンを見ます。あまねく見る方(かた)よ。わたくしはあなたを礼拝いたします。シャカ族の方(かた)よ。わたくしを諸々の疑惑から解き放ちたまえ。」

1064 「ドータカよ。わたくしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱(げだつ)させ得ないだろう。ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩(ぼんのう)の激流を渡るであろう。」

1065 バラモンさま。慈悲(じひ)を垂(た)れて、(この世の苦悩から)遠ざかり離れる理法を教えてください。わたくしはそれを認識したいのです。わたくしは、虚空(こくう)のように、乱され濁ることなしに、この世において静まり、依りすがることなく行いましょう。」

1066 師は言われた、「ドータカよ。伝承によるのではない、まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著(しゅうじゃく)を乗り超えよ。」

1067 「偉大な仙人さま。わたくしはその最上の安らぎを受けて歓喜します。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り超えましょう。」

1068 師は答えた、「ドータカよ。上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、ーそれは世の中における執著の対象であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない」と。

1061(注釈) ここでは、「自分の安らぎ(ニルヴァーナ)を学びましょう」という。この文章から見るかぎり、安らぎを実現するために学ぶことがニルヴァーナであり、ニルヴァーナとは、学びつつ(実践しつつ)あることにほかならない。ブッタゴーサの註によると、「食欲などなくすために(ニルヴァーナのために)戒などを実践するのだと言い、ニルヴァーナを目的と見なし、戒などの実践を手段と見なしている。後代の教義学はみなこういう見解をとっている。しかしこういう見解によるならば、人間はいつになっても、戒律の完全な実践は不可能であるから、ニルヴァーナはついに実現されないであろう。この詩の原文(’’)によって見る限り、学び実践することがニルヴァーナであると漠然と考えていたのである、と解することができよう。

1062(注釈) ここでも、「自分の安らぎ(ニルヴァーナ)を学ぶというのは、よく気をつけて、熱心であることにほかならない。

1063(注釈) わたくしは・・・・見ます→「〈あなたは、そのような立派なバラモンである〉と認めます」という趣意である。

1064(注釈) 最上の真理→不死、ニルヴァーナ、をいう。ここでは、徹底した〈自力〉の立場が表明されている。仏は、人々を救うことができないのである。

1065(注釈) バラモンさま→ブッダに向かって呼びかけていう。慈悲を垂れて→(あわれ)んでくださって、の意。遠ざかり離れる理法→遠ざかり離れるはたらき、行為をニルヴァーナと呼んでいるのである。乱され濁ることなしに→この詩においては釈尊にたいして「バラモンよ」と呼びかけているのである。釈尊はバラモン階級の出身ではなかったけれども、理想的な修行者と見なされていたのであろう。

1066(注釈) 安らぎ→この語は現代の南アジアの諸言語では「平和」の意味に用いられている。

1068(注釈) 移りかわる生存→強意を含めた輪廻転生の反復である。