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1040 ティッサ・メッテイヤさんがたずねた、「この世で満足している人は誰ですか?動揺することがないのは誰ですか?両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない、聡明な人は誰ですか?あなたは誰を〈偉大な人〉と呼ばれますか?この世で縫(ぬ)う女(妄執)を超(こ)えた人は誰ですか?」
1041 師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。諸々の欲望に関しては清らかな行いをまもり、妄執を離れて、つねに気をつけ、究め明らめて、安らいに帰した修行者、ーかれには動揺は存在しない。
1042 かれは両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない。かれを、わたしは〈偉大な人〉と呼ぶ。かれはこの世で縫う女(妄執)を超えている。」
学生ティッサ・メッテイヤの質問→注釈には『ティッサ・メッテイヤ経』として引用している。
1040(注釈) 動揺すること→妄執や誤った見解のために心が動揺することである、とブッダゴーサは解している。両極端を知りつくして・・・・→古代インド語における複数対格。ジャイナ教でも同様にいう、「二つの極端によって見ることなく、賢者はそれを知って世界を克ち得た」このような見解は中道思想を内含するとも考えられるが、しかしジャイナ教では「中道」の観念を発達させなかった。
1041(注釈) 清らかな行ないをまもり→インド一般の用例としては、男女間の淫欲を離れていることをいう。