一瞬一刻に常に注意を払い、油断せず心を保つ。
人間的思考が立ち上がらないように常に注意を払う(よく気をつける)
わが身において身というものをこまかく観察する。熱心によく気をつけ、心をこめて観察し、それによって世間の貪りと憂いとを調伏して住する。あるいはまた、この存在において存在というものをこまかく観察する。熱心によく気をつけ、心をこめて観察し、それによって世間の貪りと憂いとを調伏して住するこれを名づけて正念と言う。
人間と言うものは、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)が直ぐに立ち上がるという癖がある。立ち上げては、好き嫌いに分けては、自分の好むものしか思わないものである。故に修行者は、自らの想いに常に注意を払い、よく気をつけ想いを中道に保つのである。この中道による念の中立を保ちつつ観察をする。それによって気づきを得、智慧を確立し、解脱へと向かう。これこそが正念なのである。
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