自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、全体を見る目で、諸々の事物に関する固執はこれこれのものであると確かに知って、自己の見解に対する執着を超越することは、容易ではない。故に人はそれらの偏執の住居(すまい)=人間的思考の運動(快⇔不快)のうちにあって、不快と感じては、ものごとを斥(しりぞ)け、また快と感じては、これを執(と)る。
スッタニパータ 785 (第7の視点)
視点集
視点集自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、全体を見る目で、諸々の事物に関する固執はこれこれのものであると確かに知って、自己の見解に対する執着を超越することは、容易ではない。故に人はそれらの偏執の住居(すまい)=人間的思考の運動(快⇔不快)のうちにあって、不快と感じては、ものごとを斥(しりぞ)け、また快と感じては、これを執(と)る。