782 人から尋ねられたのではないのに、他人に向かって、自分が戒律や道徳を守っていると言いふらす人は、自分で自分のことを言いふらすのであるから、かれは「下劣な人」である、と真理に達した人は語る。
人間的思考の運動(快⇔不快)によって、周りのひとから心地よい言葉が聞きたいと言う欲が修行者に発生した場合には自分の修行状況を人に言いふらかしたいと言う欲が生じる。それは人間的思考の運動がもたらす耳から入る感受すなわち心地よい言葉が聞きたいよ言う運動から立ち上がる心理である。かれは人間的思考の運動が動いているのであるから、修行ができていない人と言う事になる。それを知って修行者は、自らの行動に注意し、それらは言わずとも自然にわかるものであると知って、自らの思考を動かすことなく修行に励むものである。
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