951 「これはわがものである」また「これは他人のものである」 というような思いが何も存在しない人、ーかれは(このような)〈わがものという観念〉が存しないから、「われになし」といって悲しむことがない。
無常を知り、無我を知り尽くし「これはわがものである」また「これは他人のものである」 というような思いが何も存在しない人、ーかれは、このような、「わがもの」という観念が存しないから、「われになし」といって悲しむことがない。人は、人間的思考の運動により、わがものとみなしたものに執着をするが、聖者は、人間的思考の運動を止め、分けず、とらわれず、寂静に帰しているのである。
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