883 或る人々が「真理である、真実である」と言うところのその(見解)をば、他の人々が「虚偽(きょぎ)である、虚妄(きょもう)である」と言う。このようにかれらは異なった執見をいだいて論争する。何故に諸々の(道の人)は同一の事を語らないのであろうか?
或る人々が「真理である、真実である」と言うところのその人間的思考の運動(真実⇔虚偽)による見方をば、他の人々が「虚偽(きょぎ)である、虚妄(きょもう)である」と言う。このようにかれらは異なった両極端の執見をいだいて論争する。何故に諸々の修行者は同一の事を語らないのであろうか?それは、かれらが人間的思考の運動(真実⇔虚偽)の運動を制する事が出来ず論争に陥ったのである。
コメントを残す