808 「何の誰それ」という名で呼ばれ、かつては見られ、また聞かれた人でも、死んでしまえば、ただ名が残って伝えられるだけである。
「何の誰それ」という名で呼ばれ、かつては見られ、また聞かれた人でも、死んでしまえば、ただ名が残って伝えられるだけである。この世の人々は、名称と形態とを見る。みては、人間的思考の運動によって分別するのである。その分別したものは、人間であっても、この無常の世では、常住でない。執着した対象は、全て失われていくことを知って、自らの反応の仕方に注視し、中道を保って、安穏を観るのである。
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