自らの人間的思考の運動にもとづいた偏った見解をあらかじめ設(もう)け、つくりなし、偏重(へんちょう)して自分の反応の仕方のみ勝(すぐ)れた実りがあると見る人は、ゆらぐものにたよる平安すなわち人間的思考の運動による一時的な平安とかれが信じるものに執着しているのである。それは運動をするので、全く正反対のものが時間と共に現れるのである。それを知って聖者は、自らの人間的思考の運動を止め、ありのままに知る境地を極め、遂には安穏を観たのである。
スッタニパータ 784 (第2の視点)
視点集
視点集自らの人間的思考の運動にもとづいた偏った見解をあらかじめ設(もう)け、つくりなし、偏重(へんちょう)して自分の反応の仕方のみ勝(すぐ)れた実りがあると見る人は、ゆらぐものにたよる平安すなわち人間的思考の運動による一時的な平安とかれが信じるものに執着しているのである。それは運動をするので、全く正反対のものが時間と共に現れるのである。それを知って聖者は、自らの人間的思考の運動を止め、ありのままに知る境地を極め、遂には安穏を観たのである。