968 怒りと高慢とに支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。また快いものも不快なものも、両者にしっかりと、うち克(か)つべきである。
人間は、人間的思考の運動すなわち快⇔不快に分別する運動に陥った時、怒りと高慢が現れる。不快に思った時は、怒り、快を感じた時に高慢になる。すなわち人間的思考である。これらの運動に打ち克ち、快いものも不快なものをしっかりと制して、中道を保つのである。全てを制した聖者は、遂には安穏の境地に至り、もはや、後戻りすることはない。
suttanipata
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968 怒りと高慢とに支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。また快いものも不快なものも、両者にしっかりと、うち克(か)つべきである。
人間は、人間的思考の運動すなわち快⇔不快に分別する運動に陥った時、怒りと高慢が現れる。不快に思った時は、怒り、快を感じた時に高慢になる。すなわち人間的思考である。これらの運動に打ち克ち、快いものも不快なものをしっかりと制して、中道を保つのである。全てを制した聖者は、遂には安穏の境地に至り、もはや、後戻りすることはない。
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