809 わがものとして執着したものを貪り求める人々は、憂いと悲しみと慳(ものおし)みとを捨てることがない。それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて行って安穏(あんのん)を見たのである。
人間的思考(快⇔不快)の運動によって欲するものには、必ず相反するものが付着している。すなわち、快には不快がである。人間的思考によって執着したものを貪り求めたものを得られたとしても、この無常の世では、運動をするので、相反するものが現れた時に憂い、変化しては悲しみ、手放す時にものおしむ。故に心の中は常に激流なのである。ある時は、喜び、またある時は悲しむ。それ故に聖者は、人間的思考による喜びを捨てて、不動の心で世の中を照らす。かれには、所有も、無償有も無く、平安に満たされているのである。
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