900 一切の戒律や誓いをも捨て、人間的思考の運動(あり⇔なき)を止める。世間の罪過(ざいか)あり或いは罪過なきこの宗教的行為をも捨て、人間的思考の運動(清浄⇔不浄)である「清浄である」とか「不浄である」とかいってねがい求めることもなく、それらにとらわれずに行え。ー安らぎを固執することもなく。中道を保って修行するのである。
人間にとって戒律や誓いなども執着の対象になりうるのだ。人によっては誓いや戒律に依存した修行をする者もいる。故に智慧ある修行者はその誓いや戒律をも手放し、依存の対象を作らない。宗教的行為によっても清浄あるいは不浄と言うような人間的思考の運動をする。人はあらゆる対象に対して依存するので、それらを手放し自らの人間的思考の運動によく気をつけて遂には真理へと到達するのである。
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