879 かれらはこのようにそれぞれの人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げたまま、異なった執見をいだいて論争し、「論敵は愚者であって、真理に達した人ではない」と言う。これらの人々はみな「自分こそ真理に達した人である」と語っているが、これらのうちで、どの説が真実なのであろうか?人間的思考の運動(快⇔不快)を制しない限り真理を観る事はできないのである。
人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げていると言う事は、いずれかの両極端を掴んでいるという事である。それらを掴んだままでは、全体を見る事が出来ないが故に真理を観る事が出来ない。その状態で真理に達した人であるという事はまさに本末転倒である。それをみて智慧ある修行者は、論争に赴くことなく自らの思考を止める事に集中せよ。誰かと組することなく、自らが真理を観ればいいからである。
コメントを残す