自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、未来を願い求めることなく、過去を思い出して憂(うれ)えることもない。[現在]感官で触れる諸々の対象について人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、遠ざかり離れることを観じ、諸々の偏見に誘われることがない。このように修行者は修行を進めていくべきである。
人間的思考の運動というものは様々なタイミングで立ち上がる。例えば過去を思い出した時も、あの時はこうだったった、ああすれば良かったと言うような想い。これも人間的思考の運動である。現在起こっていることに対してもあれこれ想う事それも人間的思考の運動(快⇔不快)である。更には未来に対して想う事これも人間的思考の運動である。この想いがこの無常の世を作り出し永遠と輪廻させる元なのである。故に智慧ある修行者は、それらの想いを制して、世の中を遍歴し遂には安穏を観たのである。
コメントを残す