師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。淫欲の交わりに耽る者は人間的思考の運動(快⇔不快)を制すると言う教えを失い、両極端を求めて、邪(よこしま)な行いをする。これはかれのうちにある卑(いや)しい=「運動に引き込む」ことがらである。
中道を目指す修行者は人間的思考の運動(快⇔不快)である両極端を追い求めてはならない。それらを制するのが修行なのである。この無常の世で掴むことのできないもの(両極端)を追い求める事。それすなわち苦である。そのことを知って聖者は、自らの人間的思考の運動を制して遂には安穏を観たのである。
コメントを残す