人から尋ねられたのではないのに、他人に向かって、自分が戒律や道徳を守っていると言いふらす人は、自分で自分のことを言いふらし、褒められたいと言う人間的思考の運動(快⇔不快)が立ち上がっているのであるから、かれは修行を怠っている人である、と真理に達した人は語る。
自分の修行が進んでいるかどうかは、他の修行者にとっては関係のないことであって、そこには、褒められたいと言う想いが潜んでいる。中道を守る修行は人間的思考の運動を止める事であるから修行者は常に自らの想いに気をつけ中道を守り遂には真理を観るのである。
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