スッタニパータ 789 (第11の視点)

もしも人が見解によって清らかになり得るのであるならば、あるいはまた人が智識によって苦しみを捨て得るのであるならば、それは人間的思考の運動(快⇔不快)が立ち上がったままの煩悩にとらわれている人が人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、中道を歩むと言う正しい道以外の他の方法によっても清められることになるであろう。このように語る人を「偏見ある人」と呼ぶ。