906 かれらは人間的思考の運動(称賛⇔非難)を立ち上げては自分の道を称讃するように、自己の教えを尊重している。しからば一切の議論がそのとおり真実であるということになるであろう。かれらはそれぞれ清浄となれるからである。人間的思考の運動を立ち上げたまま真理を観る事はできないにもかかわらずである。
自らの見方に愛着を持つとそれは人間的思考の運動(快⇔不快)である。故に自らを称賛する。人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げると真理は遠のくのであるから、懸命な修行者は常に自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけて安穏を観たのである。
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