905 もしも他人に非難されているが故に下劣なのであるというならば、諸々の教えのうちで勝れたものは一つもないことになろう。けだし世人はみな自己の説を堅(かた)く主張して、人間的思考の運動(完全⇔下劣)を立ち上げたまま他人の教えを劣ったものだと説いているからである。
他人の主張を評価することは修行とは全く関係が無い事である。評価をする時点で人間的思考の運動(快⇔不快)が立ち上がるからである。故に懸命な修行者は、常に自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけて、遂には彼の岸へと到達したのである。
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