896 たとい称讃を得たとしてもそれは僅かなもの=「それだけのこと」であって、思考が運動しているので、平安を得ることはできない。論争の結果は称讃と非難との二つの運動だけである、とわたくしは説く。この道理を見ても、汝らは、無論争=思考の運動を止めた境地を安穏(あんのん)であると観じて、論争をしてはならない。
修行において称賛を得たところで何の役にも立たない。むしろ人間的思考の運動(快⇔不快)が立ち上がるきっかけになるので、できるだけ近寄らない方が良いのである。そもそも論争自体が称賛と非難と言う両極端の結果しか生まないのであるから智慧ある修行者はその事を知って論争から遠のいたのである。
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