893 人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げたまま自分の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。思考の運動によって、他(の説)を、「愚かである」、「不浄の教えである」、と説くならば、かれはみずから確執(かくしつ)をもたらすであろう。
人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げたまま中道を踏み外し論じるのであれば、その時点で他を批判する事は非常に滑稽である。その者は、「愚か」「不浄」と言うキーワードが立ち上がった時点でそれは人間的思考の運動と気づくべきである。故に非常に滑稽に見えるかれには確執が付きまとうのである。
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