892 人間的思考の運動(清浄⇔不浄)を立ち上げ、ここ〈わが説〉にのみ清浄があると説き、他の諸々の教えには清浄がないと言う。このように一般の諸々の異説の徒はさまざまに自分の見方に執着し、かの自分の道を堅(かた)くたもって論ずる。
我が説のみに清浄があると説く者それはこだわりである。こだわりとは、人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げている状態で、両極端を掴んでいる状態で起こる。故に中道を踏みはずしているので真理を見る事はできない。それを見て智慧ある修行者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく注視し、こだわりを捨て遂には彼の岸へと到達したのである。
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